【スバルよ、なぜアメリカを向いた?】大英断ともいえるワケ 販売台数、アメリカ>日本に逆転した背景
公開 : 2020.05.28 05:50
米ディーラー網の大幅見直し
アメリカで売れる商品揃えを進めると同時に、販売店についても大きな変更を施した。
2010年までに、全米625店舗構想を掲げた。その中では、市街中心部にあるパパママショップと呼ばれる小規模ディーラーを見直し、郊外型の中大規模ディーラーを強化した。
また、当時のアメリカでは、スバルに限らずマルチブランドを同じ店舗内で扱う併売スタイルが多かった。
スバルの場合、韓国ヒュンダイなどとの併売が多く、ディーラーマンとしては販売奨励金が多いスバル以外のブランドを優先して売るようなこともあった。
そうした販売体制を改め、スバル専売店を増やした。
テキサス州の筆者の自宅近くの店舗が、全米に向けたスバル専売店のモデル店になったこともあり、当時のスバル営業戦略の動向を定常的に見ることができた。
こうして、アメリカで売れるクルマと売れる場所の整備が徐々に進んだ。
ただ、2007〜2010年といえば、2008年のリーマンショックでGM、クライスラー(当時)が経営破綻し、アメリカ経済の回復がスローペースだった時期だ。
ところが、GMがアメリカでオールズモビル、ビュイック、サターン、ハマーブランドを廃止した。
これらの中での優良ディーラーがスバル専売を始めたことも、その後のスバル成長の布石となった。
重要な手がかり「LOVEキャンペーン」
商品と場所を整えながら、マーケティング戦略も新たに作成した。
アメリカの現地法人、SOA(スバル・オブ・アメリカ)は、新規に契約した広告代理店と共に、全米でのスバルユーザーの実態調査を行った。
そこからわかったのが、スバルユーザーは教育水準が高く、車両の所有年数が長く、スバルというブランドに対する忠誠心が高い、ということだった。
その上で、スバルはユーザーに対するキャンペーンに「LOVE」という言葉を使った。
LOVEキャンペーンは、スバルが当初考えていたより何倍もの効果を生む。
ちょうどスマートフォンの普及が本格化したこともあり、SNS効果によってスバルの評判が全米に着実に届いた。
さらに驚いたことに、LOVEキャンペーンはユーザー側からの提案で福祉など社会活動へも広がりを見せ、結果的にスバルのブランド価値が上がったのだ。
こうした自動車史上で極めて特殊なユーザー主導型のブランド普及活動によって、スバル車の売り上げが一気に上昇。結果的にアメリカ偏重の経営構造となった。
2006年度、グローバル販売台数は58万4000台。このうち、日本が24万4000台、アメリカが17万8000台だった。
それから13年後の2019年度、グローバルで103万3900台(06年比1.8倍)、日本が12万5800台(0.5倍)、アメリカが70万1600台(3.9倍)となっている。