【たのみの綱のインドが……】スズキの販売台数減 原因はコロナ禍だけではない 背景にインド経済
公開 : 2020.05.27 21:35 更新 : 2020.05.27 21:40
インド政府の国民車構想に参加
インドは人口が日本の10倍以上の約13億4200万人で、中国に次ぐ第2位だ。
人口分布では若年層が多いため、2025年には、政府による1人っ子政策や高齢化が進む中国を抜いて人口最多国になる可能性が高い。特徴としては、文化の多様性がある。宗教は、主に6つ(ヒンドゥ教80%、イスラム教13%、仏教0.8%等)あり、言語は22の公用語と1600以上の方言がある。
そうした、日本とは社会環境が大きく違うインドで現在(2020年5月)、スズキ以外に世界各メーカーが現地生産をおこなっているが、乗用車市場のシェアの約半数がスズキが占める。
なぜなのか?
理由は、1980年代前半、インド政府が国民車構想で海外自動車メーカー各社に共同事業を打診したところ、最も熱心にインド側の話を聞いたのがスズキだったからだ。
対応したのは、鈴木修(現会長)だ。
鈴木会長はこれまで、各種メディアでの取材で当時の思いについて語っている。
低価格をウリに市場開拓を狙ったアルトなどで四輪事業の拡大を目指しても、四輪後発メーカーでは他社に対抗することは難しく、社員の意気を上げるためにも「どこかでナンバーワンになるべき」という判断があったという。
1981年、インド国営のマルチ・ウドヨグ社が設立され、翌82年にスズキはインド政府と国民車生産に関する合弁事業に正式調印した。
インド経済成長に陰り 負の連鎖に
インド市場が本格的に成長したのは、1996年の乗用車参入規制が撤廃されてからだ。
2000年代に入ると、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)が経済新興国と呼ばれ世界からの投資が集まり経済が急成長を始める。
インドは96年の規制緩和から10年間で、自動車市場規模は2.3倍になった。
スズキは、国民車「マルチ800」の生産を立ち上げたニューデリー郊外のハリアナ州グルガオン工場をインドでのマザー工場とし、2007年には同州内にマネサール工場の稼働開始。
近年では2017年2月、インド北西部のグジャラート州で新工場が稼働した。
インド自動車工業会は、2030年のインド市場規模が1000万台になると予測しており、そうした未来への投資としてスズキはインドでの生産能力を拡大してきた。
だが、2019年に入りインド経済成長に陰りが見えてきた。
日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、問題は国営銀行などの金融機関で積み上げている不良債権だという。
自動車ローンに関する金融機関の貸し渋り、自賠責保険料の値上げ、燃料価格の上昇などが、自動車販売に負の連鎖を生んでいる。
これまでの経済成長を支えてきた、モディ首相が2019年5月に第二期政権となり、経済対策をどう舵取りするのか、というタイミングでのコロナ禍である。
インド頼みのスズキ、正念場である。