【未発表だったフランス生まれのクーペ】ドライエ135MS CLスペシャリエ 前編
公開 : 2020.06.07 16:50 更新 : 2020.12.08 11:04
フランスのコーチビルダー、ファジェ・ヴァルネが生み出した、1台限りのプロトタイプ。フランスの自動車メーカー、ドライエ社とファセル社を両親とする、珍しい血筋を持っています。レストアされた美しい姿をご紹介しましょう。
コーチビルダーが生んだ1台のプロトタイプ
フランスの中西部、トゥールの郊外に簡素なファサードを持つ建物ある。欧州のクラシックカー・ファンには、よく知られる場所だ。
この屋根の下にはドミニク・テシエが主宰の、アトリエ・オートモビルズ・アンシエンヌズ、通称3ADTのワークショップが入っている。われわれが訪問すると、1953年製のドライエ135MS CLスペシャリエのプロトタイプが待っていた。
この数ヶ月前、取材のためにドミニク・テシエへ電話をし、Eメールで何枚かの写真を送ってもらった。1台限りのドライエに、編集部は強く心を奪われた。
美しい姿が脳裏から離れることはなかった。クルマに秘められた物語も、今まで表には出ていない、興味深いものだった。
この1台のドライエを調査してくれたのは、自動車史を専門とするウィルフリッド・リロイ・プロスト。過去のアーカイブを掘り下げ、20世紀に名を刻んだ、ドライエとファセル・ヴェガ、ファジェ・ヴァルネとのつながりを明らかにしてくれた。
この3社で最も知られていないものは、ファジェ・ヴァルネだろう。かつてフランス各地に存在していた、コーチビルダーの1つ。ジャン・ファジェと、アンリ・ヴァルネの2人によって立ち上げられた。
パリ郊外のルヴァロアを拠点に活動し、上質なコーチビルドだけでなく、軍用車や商用車のボディ製造を得意とした。同時に、シトロエンやパナールなどの下請けもしていた。
創造力に長けたファジェ・ヴァルネ
ファジェ・ヴァルネの隠し技と呼べたのが、発明ともいえる創造力。1948年に、1010鋼板で総スチール製のフレームを生み出した。
この技術を活かし、木製フレームから先の制作へ進むことが可能となった。生産性は向上し、費用も大きく削減することができた。
軍事用車両の生産プロセスを、民間モデルへも投入したファジェ・ヴァルネ。未来の技術といえた、モノコックボディ構造の入り口を垣間見せることにもなった。
ボックス構造のフレームは、クーペだけでなく、カブリオレにも展開が可能だった。これらの技術を活用し、ドライエ社向けの特注ボディの生産を請け負った。
推定では、1948年から1951年にかけて6台のドライエ135カブリオレ、1948年から1953年にかけて5台のドライエ135クーペ、1951年にはドライエ235クーペを1台製造している。
他方で、フランスを代表する高級車メーカーだったドライエ社。革新的なシャシー技術と、134と138スーパー・ラックスに採用した独立懸架式フロント・サスペンションの高い評価で、1930年代には黄金期を迎えていたブランドだ。
実際、ドライエ社製のシャシーは、当時の著名コーチビルダーの多くが採用するほど。例を上げると、レトゥノール・エ・マルシャンやシャプロン、フィゴーニ・エ・ファラッシなど、そうそうたる名門が並ぶ。