【未発表だったフランス生まれのクーペ】ドライエ135MS CLスペシャリエ 前編
公開 : 2020.06.07 16:50 更新 : 2020.12.08 11:04
エンジンとシャシーはドライエ135MS
1936年のパリ・サロンで圧倒的な注目を集めたのは、フランスのコーチビルダー、フィゴーニ・エ・ファラッシ社のロードスター。ドライエ社製の、ホイールベース2700mmの短いシャシーを土台としていた。
ボディは、著名なイラストレーター、ジェオ・ハムのドローイングに触発され生み出された。圧倒的に美しいスタイリングを持ち、驚くほどの価格が付けられた。政治家で実業家のアーガー・ハーンが、最初のオーナーとなった。
ところが、ドライエ社は数多くの事業不振を抱え、ファジェ・ヴァルネ社を巻き込んで勢いを失いつつあった。1947年のパリ・サロンではドライエ・タイプ175を発表。1954年には最後のタイプ235を発表するが、同年の7月29日、ホッチキスによってドライエ社は買収されてしまう。
ドライエが急降下していた1953年、ファジェ・ヴァルネは、今われわれの目の前に停まっている美しいプロトタイプの制作をスタートさせた。1949年製のドライエ135MSのシャシーとエンジンを用い、コタルMK35と呼ばれる電磁トランスミッションが組み合わされている。
ボディのコーチワークを進める中で、ファジェ・ヴァルネ社はファセル社へ連絡を取る。ボディパネルの在庫を確かめるために。そこで出てきたのが、フォード・コメット用のボディ。手を加える素地とした。
ファセル社は、メタロン社も立ち上げたジャン・ダニノが1939年に設立したメーカーだ。1950年代初頭、上級クーペのファセル・ヴェガはまだ誕生していなかった。
ベースのボディはファセル社から調達
ステンレスや軽量なアルミを専門としていたメタロン社は、第二次世界大戦が起きると、アメリカの航空機用部品の製造を行った。戦争が終わると、1945年にダニノはファセル社とメタロン社を合併。自動車製造と航空宇宙産業を股にかける、新しい業態となった。
シムカやドライエ、フォードなどと業務契約を取り付けたファセル社。1951年、フォードはフランスで、そのコメットを発表している。
2.2Lという小さな排気量のV8エンジンを搭載するコメット・クーペは、1950年の設計。流れるようなルーフラインは、ダニノが個人用に制作を進めていたベントレー・クレスタIIを想起させる。
特徴的なルーフに、大きく口を開いたようなグリル、二段に重なったヘッドライトにエアインテークの付いたボンネット。トップグレードのコメット・モンテカルロは、1954年に登場するファセル・ヴェガを予感させるデザインをまとっている。
ファジェ・ヴァルネ社は、フォード・コメットの要素に手を加え、135MS CLスペシャリエ・プロトタイプの制作を進めた。コーチビルダーとしての個性を付加し、美しい1台のプロトタイプを仕上げた。
最もわかりやすいのは、クロームメッキされたヘッドライトリング。後のファセル・ヴェガのトレードマークへと昇華していくデザインでもあった。
この続きは後編にて。