【未発表だったフランス生まれのクーペ】ドライエ135MS CLスペシャリエ 後編
公開 : 2020.06.07 20:50 更新 : 2020.12.08 11:04
誕生から30年を経て公道デビュー
ファジェ・ヴァルネに続いて、フォード・コメットの生産も終了。10年後には、ファセル・ヴェガの生産も終了した。ドライエ135MS CLスペシャリエを生み出した、3つのブランドは、すべて絶たれてしまった。
ある時、ジャン・ファジェは、工業デザイナーのフィリップ・シャルボノーへ美しいクーペを寄贈した。もう1台分のボディも組み上がった状態にあったが、シャシーには載せられていなかった。
シャルボノーは、フランス北東部のヴィリエ・アン・リウにある、自動車博物館へ135MS CLスペシャリエを展示した。彼が手掛けた、ドライエ235プロトタイプと一緒に。
しばらく展示されていたが、1981年、135MS CLスペシャリエは、クラブ・ドライエのメンバー、ジョルジュ・クラベリーが買い取る。そして彼は、このクーペを実際に公道で運転した、始めての人物となった。
多くの手直しと整備を受け、プロトタイプはフランスの交通局へ登録された。誕生から30年を経て、1981年7月31日、初めてナンバーを取得。番号は、6197 RQ 27だ。晴れて、公道での走行が認められたクルマとなった。
2017年11月のオークションで、次のオーナーとなったのはアンソニー・コレ。その時までに、ジョルジュ・クラベリーは、1万kmも走っていなかったという。
「このクルマに出会ったのは、まったくの偶然でした。新聞でたまたまオークションの広告を目にし、ドライエのミステリアスな背景を知り、強く惹かれたのです」 と振り返るアンソニー。
ペブルビーチ・コンテストへの招待
歴史的な自動車として、ガレージに納めておくだけでは、この価値は発揮しきれない。アンソニーは、コンクール・デレガンスや自動車ショーへ出展できるように、包括的なレストアを施すことを決意する。
作業を受けたのが、いま筆者が立っているドミニク・テシエが主宰する、アトリエ・オートモビルズ・アンシエンヌズ社。2018年4月のことだったという。エンジンの整備士や内装職人などが、今の状態に仕上げるまでに費やした時間は、2000時間に及ぶ。
レストアを終えたばかりの、ファジェ・ヴァルネとドライエのクーペに乗せてもらう。この2+2の細身のクーペへ乗るには、少し体が柔らかくないと厳しい。
インテリアは青と白のツートンカラーのレーザー。華やかで、気高い雰囲気が漂う。
オーバーヘッド・バルブ、直列6気筒エンジンの排気量は3.6L。コタル製のトランスミッションが、滑らかに変速を終える。ドラージュ製の油圧ブレーキは、まだ少し調整が必要なようだ。
短い走行を終え、ドライエ135MS CLスペシャリエをドミニク・テシエ・レストア社へと戻す。初のメジャーなコンクール・デレガンスや、走行を楽しむために、これから最終的な調整を受ける予定だ。
「信じられません。ペブルビーチへ招待されるなんて、夢のような出来事ですよ」 確かにサプライズかもしれない。
だが、これほどの素晴らしいレストアを施した美しいクーペなら、当然の報いにも思える。プロトタイプに関わったすべての人が、認められたということでもある。