【改めて探るF1の魅力】今年で70周年 なぜ自動車メーカーは、フォーミュラ1に一生懸命になる? 後編

公開 : 2020.05.31 20:50  更新 : 2021.07.12 18:32

イメージにも影響 実は何も変わっていない?

いま炭酸飲料メーカーが巨費を投じてふたつのF1チームを運営しているが、この宣伝効果は特に自動車メーカーにとっては重要であり、1980年代にグランプリを席捲したマクラーレンホンダのF1マシンによって、この日本メーカーは自らのブランドイメージを見事に変革している。

さらに歴史を遡れば、伝説的なコスワース製フォードDFVエンジンが10年に渡ってレースを支配したことで、ブルーオーバルは自らのスポーティなイメージを大きく向上させることに成功している。

マクラーレンの182勝を上回る238勝を上げているフェラーリはもっとも成功したコンストラクターであり、フェラーリ製エンジンもメルセデスの188勝を凌ぐ239勝を達成している。
マクラーレンの182勝を上回る238勝を上げているフェラーリはもっとも成功したコンストラクターであり、フェラーリ製エンジンもメルセデスの188勝を凌ぐ239勝を達成している。

より最近の例としては、メルセデスの活躍が始まったのは彼らが慎重に自らのブランドイメージをアクティブなものに作り替えようとし始めた頃からであり、ルイス・ハミルトンをブランド・アンバサダーに起用したこともその一環だろう。

新型コロナウイルスの影響から記念すべき70年目のF1シーズン開幕は延期を余儀なくされているが、このモータースポーツを変革しようという動きは続いており、テクノロジーとレース運営、そして予算に関する新ルールは、当初予定から1年遅れの2022年シーズンから導入されることになっている。

一方、F1に参戦する自動車メーカーとチームは、こうした新ルールの詳細に関する議論をいまも続けており、場合によってはこのモータースポーツから撤退するものが出て来るかも知れないが、いずれは新たな参戦者がその穴を埋めることになるだろう。

そして、一旦撤退したメーカーもその多くがふたたびF1へと戻って来るに違いなく、巨額の費用がかかるわりに市販モデルとの繋がりが限定的なF1は、これからも自動車メーカーを惹きつける存在であり続けるのだ。

これまでの70年間で自らを変革し続けてきたF1だが、1950年5月13日にシルバーストンでフラッグが振り下ろされて以来、実は何も変わっていないのかも知れない。

番外編2:F1ワールドタイトル70年の歴史 その1

1950年代

華々しくスタートしたF1だったが、1952年と1953年のシーズンはF1スペックのマシン不足からF2ルールで選手権は行われており、フェラーリとメルセデス・ベンツがニューマシンを投入したことで、ようやく前へと進んでいる。

4つの異なるチームから参戦し、5度のワールドタイトルを獲得したファン・マヌエル・ファンジオがこの時代を支配していた。

ジム・クラーク
ジム・クラーク

1958年にはスターリング・モスをわずか1ポイント差で上回ったマイク・ホーソーンが英国人初のワールドチャンピオンに輝いている。

1960年代

先進的な英国のプライべートチームがリアエンジンとV8エンジンへの転換を促し、さらに60年代後半になるとエアロダイナミクス・ウイングと民間スポンサーが登場している。

ジム・クラークの活躍によってロータスがグランプリを席巻し、2度のタイトル獲得に成功している。

さらに、グラハム・ヒルとジョン・サーティース、ジャッキー・スチュワートが英国に栄光をもたらした。

1970年代

商業化路線がさらに進んだことで、F1は金銭的な価値のあるスポーツへと姿を変え始めるとともに、バーニー・エクレストンの影響力が高まることとなった。

スチュワートがさらに2度タイトルを獲得するとともに、安全対策の向上についても主導的な役割を果たしている。

1976年シーズンのジェームス・ハントとニキ・ラウダの熾烈なチャンピオン争いは、ハリウッドで映画化されている。

1980年代

ターボエンジンの登場によって、F1マシンがこれまで考えられなかったようなパワーを手に入れた一方、エクレストンのTV戦略はF1にこれまで考えられなかったようなお金をもたらしている。

マクラーレンとウィリアムズ、ブラバムがトップチームであり、アラン・プロストとアイルトン・セナの歴史に残るチャンピオン争いは議論を呼ぶとともに、世界中の注目を集めることとなった。

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