【父のレーシングカーと再会】シムカ1000ラリー2 息子が手掛けた修復 前編

公開 : 2020.06.20 07:20  更新 : 2020.12.08 11:04

父がレースで戦ったかけがえのないマシン

シムカ1000ラリー2は、家族にとってかけがえのない存在でもある。若くしてガンを患いこの世を去った、ラセルダの父、ジェロズニモがレースへ参戦してきたマシンでもあるのだ。

クルマを再び買い戻し、父の時代の姿をよみがえらせたいという思い。ラセルダにとっては、強迫観念のように強いものだった。

シムカ1000ラリー2とオーナーのジョアン・ラセルダ
シムカ1000ラリー2とオーナーのジョアン・ラセルダ

「父のジェロズニモは、クラシックカーとモータースポーツの世界に住んでいた人でした。彼の父、祖父もジョアンという名前ですが、カラムロ・ミュージアムの創設者でした」 と話すラセルダ。美術品だけでなく、クラシックカーやレーサーを展示する博物館だ。

「祖父はポルトガルのビラ・レアルの街やサーキットで、何度かレースに参戦していました。英国のブランズハッチやシルバーストーン・サーキット、モナコなどへ観戦にも訪れていました。わたしの父も、一緒に出かけたそうです」

「父は1971年、21才の時にダットサン1200トロフィーでレースを始めました。当時はとても人気のチャンピオンシップ・シリーズで、フランシスコ・フィーノやマニュエル・ジャオ、ジョアキン・モウティーニョといったスタードライバーを生み出しています」

「クルマはノーマルに近いグループ1規定だったので、ドライバーの技術が証明されるレースでした。父のレースは、1972年にモザンビークへ出兵したときに中断しています」

クラス優勝を経てアップグレード

「ポルトガルに戻ると、たまにテスト走行はしていましたが、なかなかレース復帰はできなかったようです」 ラセルダが過去を振り返る。

1975年、日常的に乗っていたクルマを駆り、ラセルだの父はナショナル・ツーリングカー・シリーズを舞台にレース活動を再始動する。それが、サンティーニョ・メンデスが以前ドライブしていた、シムカ1000ラリー2だった。

シムカ1000ラリー2とオーナーの父、ジェロズニモ
シムカ1000ラリー2とオーナーの父、ジェロズニモ

「サーキットでは、スリックタイヤに交換していたはずです。それ以外はグループ1スペックのクルマなので、大きなモディファイは施されていません。追加したのは安全装備のロールケージくらいでしょう」 と話すラセルダ。

「父は1300ccカテゴリーで戦っていました。エストリル・サーキットで7月に初参戦していますが、タイヤのパンクでリタイア。8月は、アルガルヴェのヴィーラ・ド・コンデという街のストリートコースで競っています」

「われわれにとっての、モナコみたいな場所です。そこでクラス優勝しました。父は好成績に気を良くし、少しのお金をシムカに投じることに決めたようです。フランス・リールにあった、シムカ・レーシングへ、この1000ラリー2を送りました」

「当時、シムカは排気量の大きいクラス上のクルマに対して、高い競争力を誇っていました。父のシムカにはアップグレードが施されましたが、残念ながらレースを戦う機会は得られませんでした」

この続きは後編にて。

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