【戦前のBMWを組み合せたクーペ】ブリストル400 英国新ブランドの誕生 前編
公開 : 2020.06.21 07:20 更新 : 2020.12.08 11:04
欧州大陸でのテストで設計を煮詰めた
手作業で組み立てられた、これら初期のブリストル400は、後の量産タイプとは各所で異なる。量産型の400はわずかに車重が増え、車内は広くなり、ブリストル401としてリリースされた。もっとも、ピーク時でも週に4台という悲しくなる生産数だったのだが。
レジナルド・バードン・スミスは、1952年にブリストル・カーズのマネージング・ディレクターへ就任。1955年には会長へ選ばれた。
さらに彼は、ロールス・ロイス社の副会長とBAC社の会長職を、1969年から1972年の間に兼務している。ちなみに、ジェットエンジンのロールス・ロイス・オリンパスの開発を継続させたのも、レジナルドだった。
英国政府が、ターボファン・エンジンのロールス・ロイス・コンウェイを推したことに反する決定ではあった。もし開発を続けていなければ、超音速機のコンコルド用エンジンは、別のものになっていただろう。
戦後、レジナルドはブリストル400のプロトタイプを欧州大陸でテストし、設計を煮詰めた。様々な条件でテストする中で、車内のベンチレーションの改善が必要だと判明。リアウインドウが開閉できるように改められた。
レジナルドは、社用車として1951年に401を手に入れると、ブリストル400は妻のクルマになった。1950年半ばには、過走行距離の状態で売却された。当初の活発さを取り戻すため、レストア目的で分解されたのは、1967年だった。
この続きは後編にて。