【戦前のBMWを組み合せたクーペ】ブリストル400 英国新ブランドの誕生 後編

公開 : 2020.06.21 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

BMWのメカニズムを流用して誕生した、英国のブリストル400。ブリストル・カーズの出発点として優れた完成度を誇る、重要な意味を持つモデルです。かつて経営者が乗っていた貴重な2台へ、英国編集部が試乗しました。

レジナルドの息子が手に入れた400

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1998年、レジナルド・バードン・スミスが乗っていたブリストル400はオーナーが変わるが、組み上がった状態ではなかった。新オーナーのピーター・オズモンドがレストアを引き継ぎ、KHU 303のナンバーを付けた400が路上に復活したのは、2010年だった。

さらに2015年、ブリストル400が販売されていることに気づいたのは、ウィリアム・バードン・スミス。BAC社でマネージャーを務めていたレジナルドの息子で、現在のオーナーだ。

ブリストル400(1947年−1950年)
ブリストル400(1947年−1950年)

「1948年生まれで、このクルマは良く覚えています。ダッシュボードにおもちゃのステアリングホイールを付けて、遊んでいました。2度の事故のことも」 と振り返るウィリアム。

「最初の事故は、母が買い物をしている最中、ハンドブレーキが誤って解除されたのが原因。助手席には祖母が乗っていました。ギアは入っていたものの1速はフリーホイールで、丘を下り壁に衝突。わたしは飛ばされて、フロントガラスに頭を打ちました」 

「2度目は母の運転で、オートバイとの事故です。幸い、大きな怪我はありませんでした」 ウィリアムは苦笑いをする。彼はアストン マーティンDB MkIIIも長年所有するクルマ好きだ。

400を購入してから、ウィリアムはオーバードライブを追加した。4ドアの405が登場するまで、標準装備ではなかった。また、リモート・シフトノブとブレーキ・サーボも。

標準では86psのエンジンだが、どこかの時点で403に搭載されていたタイプ100Aのブロックへと載せ替えられていた。400は、長距離を走るのにも魅力的だと認める。

レストアを受けて英国へ帰国

「単に速いという理由ではありません。操作した通りの反応を、クルマが返してくれるのです。父はベントレーと比較して、ステアリングや変速が軽いことに驚いていました。悪路での快適さにも」

初期のブリストル400のもう1台、JSV 823のナンバーを付けたクルマは、当初BAC 1として登録された。ジョージ・ホワイトとその妻が乗るために。彼はブリストル・カーズの会長兼マネージング・ディレクターに就任し、後にナイトの称号を受けている。

ブリストル400(1947年−1950年)
ブリストル400(1947年−1950年)

自動車部門が航空宇宙部門と分離された際、トニー・クルックとともにBAC社を支えたホワイト。だが1969年、ブリストル410を運転中に、事故で命を落としてしまう。

若い頃から、ブリストル製モデルのコンセプトを定め実現するために、最も活躍した人物だった。1941年から、彼の父や叔父とともにアイデアを温めていた。

ジョージ・ホワイトからオーナーが変わり、BAC 1のナンバーを一度失った400は、海外へ転売された。英国へ戻ってきた時には、152psを発揮するスポーツ・エンジンが積まれ、レストアされていた。

レジナルド・バードン・スミスのブリストル400より、やや車高が低い。調整可能なトーションビームを持つためだろう。

戦前の背の高いプロポーションと、キャビンの大きいフルボディとをデザインで両立させるのは難しい。車内は幅が狭く、斜め後方の視界も限られる。着座位置は低く、乗り始めの運転には気を使う。

当時の設計を想起させるのが、144km走る毎に押すことが求められる、シャシーの潤滑ボタン。幅の広い靴を履いていると、押すのが難しい。ラジオは標準装備だったが、ヒーターは付かない。

関連テーマ

おすすめ記事

 
最新試乗記

人気記事