【日本での販売終了へ】ホンダ・シビック・セダンの歴史を振り返る 懐かしのモデルも

公開 : 2020.06.13 05:50  更新 : 2021.10.13 13:53

ホンダのシビックといえば、一時期はホンダの基幹車種として屋台骨を支えた車種。2017年9月からは日本での販売も再開されました。しかし8月には日本販売が終了へ。改めてシビックシリーズの歴史を振り返ります。

シビック・セダンの日本販売が終了へ

text:Kouichi Kobuna(小鮒康一)

ホンダのシビックといえば、一時期はホンダの基幹車種として屋台骨を支えた車種である。

一時期日本国内での販売はストップしていたが、2017年9月からは日本での販売も再開され、2020年の東京オートサロンではマイナーチェンジモデルを発表。

ホンダ・シビック・フェリオ(1991年)
ホンダ・シビック・フェリオ(1991年)    ホンダ

再びシビック人気が復活するかと思われた矢先、今年の8月でシビック・セダンの日本販売が終了するというニュースが飛び込んできた。

そこで今回は改めてシビックシリーズに設定されていたセダンを振り返ってみたい。

1980年 セダンがシビックに初設定

そもそも1972年に登場した初代シビックはクラシックミニのように独立したトランクを持った2ドアモデルとして登場。

その後ハッチバックモデルや4ドアモデルも追加されたが、いわゆるノッチバックスタイルのセダンは用意されることはなかった。

ホンダ・シビック・セダン(1980年)
ホンダ・シビック・セダン(1980年)    ホンダ

シビックにセダンが初めて設定されたのは1980年9月のことで、79年7月にフルモデルチェンジを果たした2代目シビックに追加される形だった。

このセダンボディは80年8月に当時の他販売チャンネル用に先んじて発売されたバラードと共通のものとなっていた。

なお、この初代バラードは、当時提携していたイギリスのブリティッシュレイランドがライセンス生産を行っており、現地ではトライアンフ・アクレイムとして販売されていた。

スポーティセダンへと進化を遂げる

3世代目となったシビックはマン・マキシマム・メカ・ミニマムというMM思想で開発され、セダンは当初からラインナップ(発売は1か月遅れの83年10月)されていた。

搭載エンジンは1.5Lのみで、ハッチバックに比べるとやや高級な立ち位置となっていた。

ホンダ・シビック・セダン(1983年)
ホンダ・シビック・セダン(1983年)    ホンダ

85年3月には、すでにハッチバックモデルに搭載されて高い評価を受けていたスポーツツインカムのZC型エンジンを搭載した「Si」を追加。

ハッチバックとともにスポーティな印象のモデルへと舵を切り始めている。

なお、この世代のシビックはホンダとして初めて日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したモデルとなっている。

1987年 4代目シビック・セダン登場

87年9月に登場した4代目シビック・セダンには、先代のモデル途中で5ドアのシビックシャトルに追加設定されたリアルタイム4WDも用意され、より幅広いユーザーのニーズに対応できるラインナップとなった。

その一方で当初はスポーツグレードの設定はされていなかったが、89年9月のマイナーチェンジのタイミングで、先代モデルと同じくDOHCのZC型エンジンを搭載した「Si」が追加。

ホンダ・シビック・セダン(1989年)
ホンダ・シビック・セダン(1989年)    ホンダ

残念ながら同じタイミングでハッチバックモデルに設定されたVTECエンジンは搭載されず、VTEC搭載のセダンは次の世代を待つこととなった。

記事に関わった人々

  • 小鮒康一

    Koichi Kobuna

    1979年生まれ。幼少のころに再放送されていた「西部警察」によってクルマに目覚めるも、学生時代はクルマと無縁の生活を送る。免許取得後にその想いが再燃し、気づけば旧車からEV、軽自動車まで幅広い車種を所有することに。どちらかというとヘンテコなクルマを愛し、最近では格安車を拾ってきてはそれなりに仕上げることに歓びを見出した、尿酸値高い系男子。

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