【失われたアイデア工場の内側】ヴォグゾールのデザインスタジオへ潜入 前編
公開 : 2020.07.04 07:20 更新 : 2020.12.08 11:04
2000名のデザイナーと技術者が集う
期間は短かったとはいえ、輝かしい20年弱の間に、グリフィン・ハウスからはヴォグゾールと、商用車ブランドのベッドフォードの新モデルが何台も誕生した。美しく、先見性を備えたコンセプトカーも、数多く生み出された。
計画通り、新モデルやコンセプトモデルの制作・開発のみを目的としていたのなら、この建物は巨大な施設だっただろう。経営や販売戦略、ディーラーの管理部門などがなければ。
完成当初は建築評論家から、英国の産業建築の中で最も効率的な施設の1つだと、高い評価を受けた。ヴォグゾールも、パンフレットで誇らしげに施設をうたった。1つの目的のために2000名が働く場所だと。
その目的とは、もちろん、ヴォグゾールとベッドフォードの新モデルを生み出すことだ。
開発センターの1階と2階には、500名を越えるエンジニアのために、製図台が並べられた。3階には350名を超える設計担当者が構え、デザイナーのアイデアを具体的な図面へと導いた。
最上階は、極秘のデザイン部門。6つの個別デザインスタジオと、さらに大きな室内スタジオが用意された。そこには独自の技術ライブラリーのほか、鈑金工房に生産・縫製工場、部品倉庫など、デザインスタディ・モデルの製作に必要な設備が整えられた。
開発センターのボスには、屋外のデザイン検討用ギャラリーに向かって大きなガラス窓が並ぶ、一室が用意された。プライベート・キッチンにバスルーム、寝室までが備わっていた。好みの特注家具が、部屋を飾った。
広い塀で覆われた巨大な屋外の展示エリア
「ルーイトンのグリフィン・ハウスは、欧州で一番のデザインスタジオを目指して建設されました」 と話すのは、ピーター・バートホイッスル。芸術・デザインの大学、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業した人物だ。
ヴォグゾールへ移籍する前は、アウディやポルシェ、マツダにも在籍していた過去がある。「当時、移籍に反対する人はいませんでした」
個別のデザインスタジオは廊下で結ばれ、ワークショップへの動線にも優れていた。コンセプトモデルや量産間近のプロトタイプを屋外で検証できる、個別の展示評価スペースも備わっていた。
2階ぶんの天井高があるデザインスタジオは、一面ガラス張り。30台以上のクルマやトラックが停められる屋外展示エリアは高い塀で覆われ、外からの視線を遮った。
巨大なリフトで、建物上階から地上レベルまで、デザイン・モデルを移動することも可能。加えて、社内スタッフ間でのセキュリティも万全だった。
世界中のデザイナーがそうであるように、ヴォグゾールへ移籍したデザイナーたちも、環境を特別な創作空間へ仕上げるのには苦労したようだ。1965年にグリフィン・ハウスへとやって来た、ケン・グリーンリーが教えてくれた。
当時のボスが、屋外の展示エリアを独自の空間へ作り込ませた時もあったそうだ。数匹のダルメシアンを広場へ放し、大きな池を作って沢山の鯉を泳がせたという。
この続きは後編にて。