【華やかに着飾ったカブリオレ】VWカルマン・ギアとルノー・フロリード 前編
公開 : 2020.07.11 07:20 更新 : 2020.12.08 11:04
同時期に誕生した、VWカルマン・ギアとルノー・フロリードは、カブリオレとして同じ理想を描いたクルマ。カロッツェリアが生み出した美しいボディを持ちつつ、知名度は大きく異る2台を、英国編集部が試乗しました。
リアエンジンで2+2のカブリオレ
欧州のファミリーカーをベースに、華やかに仕立て直したモデルを生んでいた、カロッツェリア・ギア社。ベロアやウッドパネルに頼ることなく、モータースポーツでの活躍や歴史を上手に活用していた。
フィアットやアルファ・ロメオ、ランチアへ、控えめな成り立ちを塗り替える美しいボディを与えていた。新しいスタイリングは、ブランドにとってもプラスに働いた。
今回ご紹介するフォルクスワーゲン・カルマン・ギアとルノー・フロリードSは、その仕事でも完璧と呼べる例。ベースは、真面目な作りで手頃な価格の、フォルクスワーゲン・ビートルとルノー・ドーフィンだ。
どちらもリアエンジンで、2+2のキャビンを備えるエレガントなカブリオレ。フォルクスワーゲンやルノーのショールームでは、それまで並ぶことのなかった雰囲気を漂わせる。
最初に誕生したのは、クーペ・ボディのカルマン・ギア。その起源は、フォルクスワーゲンのアイデアではない。
カルマン社とギア社が協働して生み出したモデルで、車名はそのまま、両社の名を冠している。プレゼンテーションを受けたフォルクスワーゲンは、量産化を断れなかった。
ヴィルヘルム・カルマンが立ち上げたカルマン社は、その時すでにフォルクスワーゲン・ビートルのコンバーチブルを製造していた。メーカーとのパートナーシップの強化へも、前向きだった。
カルマンギアに触発されたルノー
一方のカーデザイナー、ルイジ・セグレが率いるギア社もまた、国際的なビジネスネットワークの構築に務めていた。両社は意気投合し、ギア社がフォルクスワーゲン・ビートルをベースにしたプロトタイプ・クーペを制作。1953年にカルマン社へと提示された。
カルマン社がフォルクスワーゲンへプロトタイプを披露したのは、1953年の11月。仕上がりに納得したフォルクスワーゲンは、生産計画を承認した。
カルマン・ギア・クーペは2年後に量産が開始。1957年にはカブリオレも登場する。それから20年余りの間に、45万台近くが生み出される。
カルマン・ギアの多くは、北米市場へと輸出された。ルノーも開拓に熱心だった市場だ。
フォルクスワーゲンの人気に感化された北米のルノー・ディーラーは、フロリダでの会議でルノーへ申し出た。ショールームを華やかにし、多くの来場者を誘う、セクシーなモデルが欲しいと。女優のブリジット・バルドーを広告へ起用する話には、展開していなかっただろうけれど。
当時ルノーを率いていたピエール・ドレフュスは、スポーティーな2+2モデルの計画へ、すぐゴーサインを出した。1958年には、量産の準備が整った。
車名は、販売される市場で変えられた。欧州向けには、ルノー・フロリード(Floride)と呼ばれた。一方で北米では、フロリダ州(Florida)以外のディーラーからの反発を避け、カラベルという名前が付けられた。当時のフランス製旅客機から拝借した呼び名だ。