【フレンチブルーのアルファ】アルファ・ロメオ8Cモンツァの栄光 後編

公開 : 2020.07.25 16:50  更新 : 2020.12.08 08:33

モナコとフランス・グランプリでの戦い

60周目には4番手になり、ブガッティのピットインで3位へ浮上。ガイ・モールを熱く追走するフィリップに、凍えながら見守る観衆から大きな声援が湧く。

レースは3時間続き、80周目。最初のチェッカーフラッグは、ブガッティ・タイプ51をドライブしたマルセル・ルックスへ振られた。続く2位は、1分差でゴールしたガイ・モール。アルゼンチン・ドライバーが1-2フィニッシュを決めた。

アルファ・ロメオ8Cモンツァ(1933年)
アルファ・ロメオ8Cモンツァ(1933年)

フレンチブルーのアルファ・ロメオ8Cモンツァをドライブした、フランス人プライベート・レーサーのフィリップ。見事3位でのゴールを果たした。

1933年シーズンにフィリップは、8Cモンツァで2勝を挙げている。フランスのピカルディ・グランプリと、マルヌ・グランプリで。しかし、最も印象的なレースは、モナコ・グランプリとモンレリで開かれたフランス・グランプリだろう。

モナコでフィリップは、タツィオ・ヌヴォラーリとアキーレ・ヴァルツィがドライブするブガッティ・タイプ51と大バトルを繰り広げる。最終的には土のうにクルマをヒットさせ、リア・ディファレンシャルを破損。リタイアに終わっている。

フランス・グランプリは、ジュゼッペ・カンパリがドライブするワークスチームのマセラティ8C-3000と対戦。水色の8Cモンツァは、優勝に手が届く位置で競り合った。

イタリア人チャンピオンのカンパリは速かったが、悪い路面はタイヤへの負担も高く、フィリップは残り5ラップまでレースをリード。追い上げるカンパリに対し、フィリップはギリギリまでタイヤ交換を粘った。

赤と白へ塗られた8Cモンツァ

しかし、フィリップはクラッチの不具合を抱えていた。24秒差で最終ラップを迎えるが、コーナーでギアが入らなくなり8Cモンツァは減速。ジュゼッペ・カンパリのマセラティはアルファ・ロメオをパスし、優勝を掴んだ。

フランスの群衆は、フィリップの戦いと不満の最後に共感。2位でのフィニッシュを、大きく讃えた。

アルファ・ロメオ8Cモンツァ(1933年)
アルファ・ロメオ8Cモンツァ(1933年)

1933年が終わる頃には、新しいシングルシーターのアルファ・ロメオは無敵の強さを見せていた。フィリップも2シーターの8Cモンツァより優れていると気付き、マセラティ8CMを1934年シーズンに向けて注文する。

フィリップのアルファ・ロメオ8Cモンツァは、スイス人へ売却。アンリ・シモレは、スイスのナショナルカラー、赤と白へ塗り直した。

8Cモンツァは、フィリップのマシンの特徴だったフロントガラス下のレザー風防を残したまま、多くのレースやヒルクライムで活躍。1937年には、ブレムガルテン・サーキットで開かれたスイス・グランプリで、メルセデス・ベンツとも戦っている。

1930年代の後半、8Cモンツァはより流線型のボディに改められた。アルフェッタ風のノーズと、テールと一体になったリアウイングが特徴だった。アルファ・ロメオ8Cの第一人者、サイモン・ムーアですら、誰がそのボディを手掛けたのかはわからないという。

ドラマティックなボディを得た8Cモンツァは、第二次世界大戦をスイスに隠され生き延びる。1960年代に入ると、アメリカのオーナーへと転売。ピーター・ギディングスがオーナーになり、スイス製のボディは剥がされた。

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