【ピカピカのアマゾンは記憶の証】ボルボ・アマゾン123GTと122S 前編
公開 : 2020.07.26 07:20 更新 : 2020.12.08 08:33
目標を達成し売却されたボルボ
「ずっと高価なジャガーEタイプやアストン マーティンにも、レストアの完璧さでは勝っていました。でも使えるお金に余裕はありません。自由に使えるものといえば、自分の両手くらいでした」
ところが1990年代半ばになる頃には、自動車コンクールへの関心は薄れ始めた。長年手間暇をつぎ込んできたアマゾン122Sを、妻のワゴンと一緒に売りに出した。
「父は満足していたのでしょう。目標を達成したと、感じていたんだと思います。綺麗に仕上げるという作業自体が、趣味だったんです。アンティークの時計でも同じことをしていました。父はクルマを売ると、庭に池を作り鯉を育て始めました」
アマゾン122Sは、英国南部のボーリュー・ガレージに買い取られる。そこで南カリフォルニアのエド・カーターが購入し、ワゴンと一緒にアメリカへ渡った。父のアマゾン122Sと、英国のボルボ・オーナーズクラブとの結びつきも途絶えてしまった。
デクランの父は、2014年にこの世を去る。最愛のボルボ・アマゾンとの再会は、ないまま。しかし息子のデクランは、その思い出を大切に心に残していた。
「父が亡くなってから数年後に、アマゾンを買おう、と決心したんです。探したのは123GT。珍しいアマゾンで、ボルボが製造したのは1500台ほど。右ハンドル車は300台くらいしかありません。英国に残っている白色のGTは、6・7台だけだと思います」
手に入れたのはスクラップ状態のボルボ
2枚ドアのクーペスタイルを持つ123GTが登場したのは、1967年。10年ほど前に発売されていた、86psの4気筒1583ccエンジンを積んた平凡な4ドアサルーン、122Sとは一線を画すアップグレードを受けていた。
123GTのエンジンはB18B型と呼ばれる1778ccの高圧縮ユニットで、スポーティな1800S譲り。フォグライトやドライビングライト、フェンダーミラーも装備されていた。
きれいに仕上げられた車内には、レカロ製のリクライニング・シートと、新しいステアリングホイールを採用。ダッシュボードには、レーシーなレブカウンターがマウントされた。
「ボルボは当時、ファイナルレシオが若干異なり、最高速度や0-100km/h加速でわずかに優れると主張していました。でも実際はメーカーのごまかし。最高出力は116psで、エンジンはすでにパワフルとは呼べませんでした」 とデクランは説明する。
「レストア前提のわたしが手に入れたGTは、スクラップ状態。ガレージ付きの家へ引っ越し、修復を始めました。父の古い道具を使い、すべて自分で進めました。小さい頃から父から学び取ってきたことを、実践できるか確かめる意味もあったと思います」
レストアは、父以上に大々的なものへと展開した。「気がつけばクルマをリフトに上げ、フロアパネルとリアのクォーターパネルを切り取っていました。荷室のフロアも、再制作の必要がありました」 と、作業を振り返るデクラン。
「ドアは、オランダまで行って買い付けました。英国西部のデボン州へも、見つからない部品を探しに行きましたね」
この続きは後編にて。