【セブンからエキシージまで】ロータス ブリティッシュ・スポーツの歴史

公開 : 2020.08.14 06:20

ロータスエラン/エリーゼ

黄金期のロータス・エラン

エランはチャップマンの最高傑作とみなされている。

エランはロータス・エンジニアリングの設立から10年後の1962年に発売され、そのテクノロジーは21世紀に入った今でもロータスに影響を与え続けている。

ロータス・エラン(初代)
ロータス・エラン(初代)

低コストで軽量な構造を実現するための鍵となったのはバックボーン構造で、2004年までエスプリにも採用されてた。

グラスファイバーはボディワークにのみ使用された。

その結果、超軽量車ではあるが、エリートよりも完成度が高く、コンバーチブルやハードトップ仕様を備え、より実用的で文明的なクルマに仕上がっていた。

ロータスは発売当時、世界最速のF1マシン(ロータス25)、世界最速のドライバー(ジム・クラーク)、そして最も楽しく手頃な価格のスポーツカー(エラン)を手に入れたことになる。

素晴らしい時代だ。

エランは1975年まで様々な仕様で生産され(2+2を含む)、エリートの10倍にあたる1万台以上が世に送り出された。

最後のエランがエスプリと同じ年に販売されたとは信じがたいが、ジョルジェット・ジウジアーロ風のスーパーカーは、まるで別の時代のクルマのようであり、もしかしたら別の惑星から来たクルマかもしれない。

エスプリは、ロータスを高級ブランドに押し上げるというチャップマンの計画の一部だった。

同計画に含まれていた2代目エリートとエクラは短命だったが、エスプリには持久力があった。

なぜかというと、映画「007 私を愛したスパイ」で栄えあるボンド・カーとなったからだ(ロータス伝説のエンジニアであるロジャー・ベッカーに運転を任せたこともそうだ)。

今日に至るまで、スポーツ300やGT3に勝るとも劣らない、最も優れたハンドリングを持つクルマの1つであり続けている。

初期モデルの質感や仕上げは嘆かわしいものだったが、一度乗ってしまえば、そうした欠点はすべて許せてしまう。

ロータスが将来のことを考えるなら、エスプリの新世代モデルこそ先頭に立つべきである。

ブランドの真髄、ロータス・エリーゼ

ロータスを今日の地位に押し上げたのは、はるかにシンプルで手頃な価格のクルマだった。

1996年、M100型エランの失敗を受けて、ロータスに残されたのはエスプリという20年前のクルマ1台だけとなった。

ロータス・エリーゼS1
ロータス・エリーゼS1

すべてはエリーゼにかかっていた。

当時、ロータスが必要としていたのは、ロータスの偉大さを思い出させてくれる存在だった。

軽量かつシンプルで、手頃な2シータースポーツ。そして、アルミニウム製のバスタブ・フレームを備えたエリーゼは、故コリン・チャップマンが心から誇りに思っていたであろうクルマだった。

これが初代エランの真の後継車であり、他のどのクルマよりも運転するのが楽しく、ピュアなステアリングを持ちながらも実用性もしっかりと備えていた。

エリーゼは瞬く間にヒットし、22年経った今も、エキシージと並んでロータス・シリーズの中核をなすコンポーネントであり続けている。

1960年代のエラン。1990年代のエリーゼ。

こうした名車を生み出した哲学を基に、ロータスはこれからもクルマ作りを続けていかなければならない。

いつの時代も、どんな名車であろうと、クルマは常に新しいものに置き換えられていく運命にある。

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