【女神と呼ばれた巨人】デイムラーDE36 フーパー グリーン・ゴッデス 前編
公開 : 2020.08.02 07:20 更新 : 2020.12.08 08:32
壮大な雰囲気を放つコーチビルド・ボディ
デイムラーがこの8気筒ユニットの製造を始めたのは、戦前の1933年。戦後の改良で、シリンダーヘッドの取り外しが可能となり、整備性を高めている。
ロンドン・モーターショーで多くの観衆の足を止めさせた理由は、もちろんこのエンジンではない。ボディが漂わせる、壮大な雰囲気にあった。
グリーン・ゴッデスが土台としたのは、デイムラーで最大の、ホイールベース3734mmのDE36用シャシー。例を見ない、巨大なスケールを持つクルマだった。取り回しの悪さを想像できるほど、ボンネットは長大だ。
曲面を描く複層ガラスが未来的。ワイパーは3本も付いている。フロント・フェンダーにはルーカス製のヘッドライトが重なり、ガラス製のカバーで覆われた。
フロントグリルだけでなく、ヘッドライトカバーにもデイムラーらしい波形模様があしらわれる。当時の人々は、近づきがたいオーラを感じたに違いない。
ソフトトップの開閉もサイドガラスの上下も、当時では先端の電動式。油圧ジャッキを内蔵し、クロムメッキされた純正工具キットには、手を洗う装備も付いていた。
一方で純金のプレートがあしらわれ、ゼブラの革でトリムされた、ドッカー・デイムラーではなかった。フーパー社のデザイナー、オズモンド・リバーズは、会長のためのクルマとしてボディを描いた。
コーチビルダーのフーパーは、イングリッシュ・アッシュ材のフレームと手打ちのアルミニウム・パネルで見事なボディを成形。1948年10月のアールズコートへ、プロトタイプを間に合わせた。
緑の女神を注文した謎の人物
展示が終わると、バーナード・ドッカー卿が南フランスへのドライブを楽しむため、数ヶ月の修正が加えられた。ドッカーが個人的に乗った後、1953年にフーパー社へ戻りボディに手直しを受け、新車として売りに出された。
当時のフーパー社の資料には、デモンストレーション車両と記されていた。課税を逃れる手段だったのかもしれない。
1953年の作業は、ボディの載せ替えではなく、修正程度の変更だったようだ。DE36 ドロップヘッドに見られる、従来的なヘッドライトの造形へ改められている。
グリーン・ゴッデスのプロトタイプは、2009年のクウェイル・ロッジでの売買以来、姿を見せていない。現在は、アメリカのマサチューセッツ州にあると思われる。
フーパー社の記録によれば、今回の2台目のグリーン・ゴッデスは、謎のFナイルドという人物が最初に手にしたクルマだった。シャシー番号は51724だが、詳しい経緯は明らかではない。
注文が入ったのは1948年の終わり。1949年5月には、納車の準備が整っていた。Fナイルドは、ほかに2台のサルーン、フーパー・レイスを購入した記録も残っている。
シャシー番号51724はその後、3名の英国人オーナーのもとを転々とし、1979年までは英国のウィンザー郊外で過ごした。2000年になると、GAU 10というナンバーを獲得。アメリカ人に売却され、チェコ共和国でレストアされている。
2018年からはヴィンテージ&プレステージ社が、このグリーン・ゴッデスを売りに出している。代表のクリス・キトゥーが、この歴史を調査している。
この続きは後編にて。