【2CVとDSの間に生まれた優等生】シトロエンGS 187万台のビッグヒット 前編

公開 : 2020.08.08 07:20  更新 : 2021.03.05 21:42

難航した新しい中型モデル開発

シトロエンは中型モデルの開発を進めていたが、なかなか実らずにいた。油圧エア・サスペンションといえるハイドロニューマチックと、水平対向4気筒エンジンを搭載したC60と呼ばれる小型版DSを設計するも、挫折。

続いて、プロジェクトFと呼ばれる新モデル開発に着手する。水平対向2気筒エンジン版と、ロータリー・エンジン版が存在し、ホイールベースも2種類を設計。サスペンションは、トーションビーム式とハイドロニューマチックの2つが検討された。

シトロエンGS(1970年〜1979年)
シトロエンGS(1970年〜1979年)

プロジェクトFは1967年までの発売を予定していたが、思うように進まなかった。試作車はボディ剛性の低さと、ロードホールディング性の悪さが顕著だった。ロータリーエンジンの開発は終わらず、C60用の水平対向4気筒エンジンは、シャシーに載らないという始末。

皮肉なことに、トーションビーム式のサスペンションは、ルノーR4やR16と酷似していた。さらにR16と同じルーフトップ構造も採用しており、ルノーから逆に訴えられる恐れもあった。

最終的にプロジェクトFは、1967年に中止。5年間に及んだ開発は無駄に終わった。そんな背景の中で、GSの登場が急がれた。

3年の開発を経て、シトロエンDSが発売されたのは1970年。プロジェクトFがやや不格好な平面と直線を基調としたハッチバックだったのに対し、GSのボディは滑らか曲面を得ていた。

スタイリングを担当したのは、ロベール・オプロン。成長を続ける市場が期待するエンジン性能に、応えられずにいたシトロエン。空力特性に優れたボディが、市民の許容できる動的性能を叶えていた。

非力なエンジンを助けた空力ボディ

「風洞実験を積極的に取り組んだ理由は、小さなエンジンが載ると分かっていたからです」 と、オプロンは2002年に振り返っている。同時に、ピニンファリーナがデザインしたオースチン1800エアロダイナミカから影響は受けてはいない、とも述べている。

エアロダイナミカを手掛けたのは、デザイナーのレオナルド・フィオラヴァンティ。GSの発表後、シトロエンに対する強い不信感を筆者に話してくれたことがある。

シトロエンGS(1970年〜1979年)
シトロエンGS(1970年〜1979年)

大胆に切り落とされたテールを持つGS。フロント以上のインパクトがある。エンジンはオールアルミ製の空冷式水平対向4気筒。オーバーヘッド・カムを装備した。簡素化させたとはいっても、サスペンションと四輪ディスクブレーキの動きは、ハイドロニューマチックで支えた。

全長はわずか4120mmだが、車内は驚くほど広い。リアには四角い形状の荷室が備わる。スペアタイヤはフロントのエンジン上に乗せられ、リアバンパーがトランクリッドの下、ボディ下端にぶら下がる。

当時、世界で最も先進的な中型サルーンだったことは、今見ても明らかだ。当時のAUTOCARでは、「数年ごとに新モデルが登場する中で、開発の流れに大きな飛躍を与える」 クルマだと記されている。

別の自動車誌では、「驚くほど低価格の、お手本と呼べるようなクルマ。価格が2倍ほどするモデルと並んでも、より現代的です。GSほど実用性の高いライバルはほかにありません」 とまで書いている。

当時のシトロエンが狙っていた、すべてを備えていた。カー・オブ・ザ・イヤーまで獲得するほどだったから、当時のディーラーが涙を流すほど歓喜しても、不思議ではない。

この続きは後編にて。

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