【オリジナルペイントのHRG】自らボディを作った赤いHRG 1500を復元 前編
公開 : 2020.08.15 07:20 更新 : 2020.12.08 08:35
HRGエンジニアリング社最後のスポーツカーが1500。その中の6台はムーア&タイ、今のヘースティングズ・モーターシート・メタルワークス社がボディを手掛けました。貴重な1台を、当時のボディ職人が今も大切に乗っています。
半分だけ残る、赤いオリジナルペイント
剥がれかけた塗装を傷めないように、エンジンカバーを注意深く開く。65年もののオリジナルペイントだ。バルクヘッド間際に収まる、1496ccのオーバーヘッド・カムエンジンが姿を見せる。
このクルマが生まれた当時は、電話番号にも空きが残っていた。コーチビルダー、ムーア&タイの名前が刻まれたプレートに載る、ヘースティングズの539番で電話はつながった。少し前までなら、イアンの父、アランEJジェンナーが電話に出たらしい。
会社の名称はムーア&タイからヘースティングズ・モーターシート・メタルワークス社へと変わっている。だが539の電話番号は、今でも空けてあるそうだ。
赤いボディの小さなHRG 1500は、アランにとって大切な記憶の一部。時間をかけて探しだし、今は英国南部、ヘースティングズの海岸の街で余暇を楽しんでいる。
1500は、HRGが製造したモデルの中で、100台以上と最も数が多く作られた。今回の赤い1500は、HRG末期に製造された1台。アランEJジェンナーが創業したコーチビルダー、ムーア&タイ社がボディを手掛けた6台のうちの、1台でもある。
アランが説明する。「ボディのペイントがなぜこんな状態なのかは、わかりません。その先が塗装ブースでした」。古いワークショップの隣りにある、切妻屋根の建物を指差した。
アルミニウム製パネルに残る、カーネーション・レッドの塗装は半分程度。その下から、手作りのボディが顕になっている。パネルの隙間はピッタリ揃い、カーブや溶接の跡もわからない。
20年近く製造されていたHRG 1500
走行距離は4万8000kmにも満たない。数少ない、現代に残った生存者だ。
「昔はロンドン郊外のトルワースまで行って、シャシーを引き取っていました。仕事で一番楽しい時間でした。天候を問わず、バケットシートを1つ付けた裸のシャシーを運転して、工場まで戻ったんです。今では想像できませんよね」 88歳のアランが振り返る。
「2枚の仮ナンバー・プレートの内、1枚は1台目の前に、もう1枚は2台目の後ろに付けて走らせていました。ある日、途中のカフェでパンとお茶で休憩をしていると、バイクに乗った警官が来て、駐車場を歩いて確認し始めました」
「カフェのドアに近づいて来たとき、ナンバーの件が見つかった、と思いましたが、気づかなかったようです」。ボディを架装するために、ムーア&タイ社へ向かう途中だった。最後のHRGも、アランがボディを手掛けている。
1938年、アランが6歳だった頃に、シンガー製エンジンからメドウズ製エンジンへと置き換わっている。同じタイミングで、車名は1 1/2リッターから1500へと改められた。ブランド創設期に製造された1 1/2リッターは、20年近くに渡って製造が続けられた。
赤いHRG 1500は1955年製だが、新車当時でも時代遅れを感じさせるデザインだった。スチール製のボディには、空気力的要素は皆無。ウインカーもなく、方向指示をするのはドライバー本人。ブレーキにはサーボも付いていない。