【オリジナルペイントのHRG】自らボディを作った赤いHRG 1500を復元 前編
公開 : 2020.08.15 07:20 更新 : 2020.12.08 08:35
空気力的要素は皆無の古いデザイン
HRGという社名は、創設者の名前が由来となっている。エドワード・ハルフォード(H)、ガイ・ロビンス(R)、ヘンリー・ロナルド・ゴッドフリー(G)の3名だ。小さな会社だったが、軍需で80名ほどまで社員が増えた時期もある。
第二次大戦が集結すると生産量は低下。アルミニウムの在庫の取引では、物々交換やキックバックを要求されたらしい。小さなストーンガードを見つめながら、アランが話す。
HRGのモデルの仕上げは、ヘースティングズを拠点とするムーア&タイ社にとって、重要な仕事だった。「この辺りでボディを組み立て、シャシーに載せていました。職人が木材で上質なフレームを組み、金属を曲げて被せていくだけで、完璧なボディパネルになりました」
ジェンナーが振り返りながら、かつてのワークショップを案内してくれる。「アップトンにある内装工場は、素晴らしい仕事をしてくれました。そこも、今でも残っています」
「クルマはこのワークショップで、ほぼ完成状態にまで仕上げられました。HRGに戻って必要なことといえば、ヘッドライトとワイパーを付けることくらい」
「HRGへクルマを回送する途中、雨が振り始めたことがありました。ワイパーはまだなく、残念なことに、フロアボードから雨が染み込んできました。新しいボディとカーペットなのに。仕方なく新車で草地を抜けて、ワークショップへ引き返しました」
エルヴァ製モデルのボディも手掛けた
1956年、最後のHRG 1500がアメリカへ6台出荷されると、HRGは会社を閉じてしまう。ジェンナーも一時仕事を失うが、フランク・ニコルズが近くの街へレーシングチームのエルヴァ社を設立。ボディの製造を請け負うようになった。
「エルヴァのために、Mk5まで、沢山のボディを作りました。デザインスケッチを見せてもらうことは稀。エルヴァが新しいシャシーを開発するたびに、フランクから電話がかかってきました。新しいボディを作って欲しい、と」
「シャシーを見にエルヴァの工場まで行くと、タイヤとラジエターを覆う、タイトで流れるような曲線を生んで欲しい。どんな仕事ができるのか見てみたい、とフランクが話してくるんです。造形には悩みましたね。フランクには、酷評された時もありますよ」
ジェンナーは近年まで現役だった。2009年にはエルヴァMk3のボディをリビルドし、博物館へ納めてもいる。
過去にはキャロル・シェルビーの、カンナム・カーを手掛けたこともある。「ブルーバードランド・スピードレコードのマシンのように、とても美しいボディでした」。BRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース)のF1マシン・ボディも仕上げた。
フォードGT70の一部も、ワークショップで生み出された。「グラスファイバー製のボディはあまり経験がありませんでしたが、バンパーなどの部品を作っています」
この続きは後編にて。