【もったいなかった?】日産ラシーンとは、なんだったのか? 1994年 元祖クロスオーバーSUVの1台? 振り返る

公開 : 2020.08.06 05:50  更新 : 2021.10.13 12:20

スポーツグレード突如追加→終焉

モデル途中で何度か特別仕様車などを追加したラシーンだったが、突1997年の東京モーターショーに突如としてスポーティーグレードとなる「フォルザ」を登場させた。

これは、2LのSR20DE型エンジンを搭載し、専用の丸目4灯ヘッドライトを持つフロントマスクと、リアクォーターウインドウを廃し、スラントさせたリアゲート、そして3ナンバーサイズとなる大型オーバーフェンダーを備えたもの。

これは翌年98年にカタログモデルに追加されたが、もともとのラシーンのキャラクターとは離れてしまっていたからか人気グレードとはならず、2000年8月をもってラシーン自体の生産も終了することとなる。

結局ラシーンはおよそ6年のモデルライフで総生産台数は7万3千台弱と、年間1万台以上が出ていた計算となり、決して不人気車種というわけではなかった。

生産終了後もコアなファンを魅了し続け、現在でも専門店が存在するほどのラシーンではあるが、現在5代目が大ヒット中のRAV4に比べるといささか物足りなさを感じてしまう。

どちらかというとパオやBe-1といったパイクカーシリーズに近い成り立ちだったため、日産としても2代目を作る予定もなかったのかもしれない。

が、もしかしたらその名の通り日産の「羅針盤」となる可能性を秘めたモデルだっただけに、後継車種が登場しなかったのは、いささかもったいなかったように感じてしまうのだ。

記事に関わった人々

  • 小鮒康一

    Koichi Kobuna

    1979年生まれ。幼少のころに再放送されていた「西部警察」によってクルマに目覚めるも、学生時代はクルマと無縁の生活を送る。免許取得後にその想いが再燃し、気づけば旧車からEV、軽自動車まで幅広い車種を所有することに。どちらかというとヘンテコなクルマを愛し、最近では格安車を拾ってきてはそれなりに仕上げることに歓びを見出した、尿酸値高い系男子。

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