【グランプリから大陸横断旅行まで】ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ 前編

公開 : 2020.08.23 07:20  更新 : 2022.08.08 07:37

大女優、ミラ・パレリーへ一目惚れ

マシソンは競争力の高いマシンへの乗り換えを考えるが、ブガッティにもこだわった。フロンティエール・グランプリでは3位入賞する一方、ル・マン24時間レースではタルボT150Cに乗り換えている。

9月になると、タルボとブガッティはRACツーリスト・トロフィに参戦。優勝したのはドライエで、タルボやBMWなどが善戦する中、マシソンのタイプ57Sは20位でフィニッシュしている。

ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ(1936年)
ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ(1936年)

戦いを終えると、マシソンはコルシカ社製のボディを再びシャシーに載せ、ロードカーとして公道を走らせた。それがブガッティ・タイプ57Sの最後のレースとなった。

第二次大戦中、ブガッティは倉庫に隠されるが、終戦と同時にアスファルトへ復帰。マシソンはフランスへ移住した。タイプ57Sは、パリではそれほど珍しくない、長距離ツアラーとして溶け込んだ。

活気を取り戻したモータースポーツ。マシソンは型落ちのマセラティ8Cを整備し、1946年5月、パリで開かれたブローニュの森グランプリへ参戦した。そこで運命の人が待っていた。

レース前のレセプション・パーティーで、マシソンは美しい女性へ一目惚れする。ポーランド出身のフランス人女優、ミラ・パレリーだった。

ジャン・ルノワールやジャン・コクトーなど、錚々たる映画監督作品で演じていたパレリー。マシソンはそんな彼女のキャリアに怯むことはなかった。出会った日から惹かれあった2人。マシソンとともに、パレリーもレースへ顔を見せるようになった。

この続きは後編にて。

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