【試作車と幻に消えた2シーター】デイムラー・ダート SP250とSP252 後編
公開 : 2020.09.05 16:50 更新 : 2020.12.08 08:34
現存する最も古いデイムラーSP250は、量産前のプロトタイプ。一方で、ジャガーを創業したウィリアム・ライオンズも試乗したであろう、幻で終わったSP252も残っています。美しい2シーターの歴史を、紐解いてみましょう。
量産には至らなかったSP252
ジャガーの創業者、ウィリアム・ライオンズはコスト意識も高かった。SP252プロトタイプは、1958年に作られた6台のシャシーの、残り3台分を利用している。シャシー番号は100003と100004、100005だ。
実際に走行できたのは、3番と5番のみ。資料によれば、4番はデザインを練るための、モックアップだったという。
シャシー番号100003には、ラックアンドピニオン式のステアリングに、ジャガーEタイプ譲りのフロント・サスペンションが与えられた。黒く塗られたボディを載せて試走したが、不安定だと評価され、解体された。
1963年に完成したシャシー番号100005のプロトタイプは、メカニズムは一般的な内容ながら、細部まで作り込まれていた。ジャガーのスタイリング評価をする基準で、ライオンズが見ても納得できるほど。
ボディはマルーンに塗られ、スチール製ホイールを履いていた。ラジエターグリルは、ボール紙だったらしい。美しいデザインだったが、ライオンズへ量産化を決断させるには至らなかった。SP250はMkIIとして1964年を迎えることができなかった。
マルーン色のSP252は、1964年にジャガーを訪れたコーリン・チャップマンへも披露されている。ジャガーによるロータス買収が、当時は密かに動いていたのだ。
チャップマンが最後に手を引かなければ、ダイムラー製V8エンジンを搭載したロードスターは、ロータス・エラン+2Sになっていた可能性もある。その後の話ではSP252自体ではなく、V8エンジンに感銘を受けたらしい。
個性的で愛らしいスタイリング
ワンオフで終わったSP252のプロトタイプは、3年間ほどシートが掛けられ、ジャガーの倉庫に眠っていた。1967年になると、ジャガーの常客、ピーター・アシュワースが妻のために買い取る。ナンバー登録され、フードも与えられた。
ところがすぐに700ポンドで、トム・スウィートへ売却。その時までは、オリジナルのフロントガラスが付いていたが、スコダ製のガラスが取り付けられるように改造された。
ワイヤーホイールへ履き替えた時期は不明。筆者は、スチール製の方が似合ったと思う。ステアリングはラックアンドピニオン式に変えてあるが、これは常套手段。
その後数名を挟んで、現在のSP252のオーナーは、マット・ピルキントン。彼は貴重な2シータースポーツを、ゲイドンのジャガー・デイムラー・ヘリテイジ・トラスト(JDHT)へ展示することを承諾した。
筆者は標準のデイムラー・ダート、SP250のスタイリングに愛らしさを感じる。カエルのように飛び出した丸いヘッドライトと、グッピーのようなフロントグリル。ほかのクルマと見間違わない特徴もある。
エンジンからの聴き応えのあるサウンドが重なると、一層強いオーラーを放つ。視覚と聴覚で惹きつける、不思議な魅力をSP250は備えている。
実は以前、SP250のCスペック、最終モデルのオーナーだったこともあった。このスタイリングは、長くいるほどに心に染みてくる。クルマのことを知らない人でも、大体の場合は見た目を気に入ってくれるようだった。