【数奇なフランス・グランプリ】デューセンバーグに破れたバッロ 3/8 LC 後編

公開 : 2020.09.06 16:50  更新 : 2020.12.08 08:34

約100年前、サルテ・サーキットで開かれたフランス・グランプリを戦ったバッロ 3/8 LC。2位を掴むものの、アメリカのデューセンバーグに勝てず、冷たい反応に喫しました。公道を走れる状態の1台を、ご紹介しましょう。

はるかに洗練され、操縦性も素晴らしい

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
アーネスト・ヘンリーが生んだ、スムーズなエンジン。露出したタイヤから巻き上がる土埃。バッロ・チームと、ライバルとの戦いに強く惹かれてしまう。

今回ご紹介するシャシー番号1006のバッロ 3/8 LCは、フランス人レーサー、ジャン・シャサーニュのクルマだったと考えられている。ガソリンタンクが破損するまで、1921年のフランス・グランプリをリードしたドライバーだ。

バッロ 3/8 LC(1921年)
バッロ 3/8 LC(1921年)

グランプリの翌日、40歳を迎えた彼は、バッロ最年長のドライバーだった。航空機や潜水艦、レーシングカーなど、様々なマシンの操縦経験を有し、エンジニアとしての知識も豊富だった。

シャサーニュがレースを初めたのは1906年。バッロの先進的なデザインと、秀でた性能を高く評価していた。しかしベテランドライバーでさえ、1921年のフランス・グランプリの過酷さは想像できなかっただろう。ラリーステージのようだったはず。

バッロ製レーシングマシンの評価は間違いないが、特に3/8 LCは最高傑作と呼べる1台。「はるかに洗練され、操縦性も素晴らしい。シャシーがどんな状態にあるのか、しっかり伝えてくれます」。と別の3/8 LCオーナー、ウィンガードは話している。

「パワーは漸進的に高まり、軽量化にも配慮されたエンジンは、4000rpmまで軽快に回ります。ステアリングの重み付けは素晴らしく、ダイレクト。でも、トランスミッションはクセモノです」

「正確な操作が求められます。コーンクラッチの扱いも」。ラグナセカ・サーキットのコークスクリュー・コーナーを、バッロで走った経験を持つ人物だ。

激しい追い上げのデューセンバーグ

直列8気筒を設計したヘンリーの大ファンでもある、ウィンガード。ツインカム・ストレート8の祖父について、本も出版するほどだ。「設計者として、ツインカム・エンジンを率先して開発した、ドライバー・エンジニアでした」

筆者がバッロ 3/8を運転し終えると、通り雨が落ちてきた。大きなオークの木の下で、雨宿りをする。ヘンリ・ミュリスの写真をしばし思い描いた。

1921年のフランス・グランプリを走るバッロ 3/8 LC
1921年のフランス・グランプリを走るバッロ 3/8 LC

フランス・グランプリの当日、1921年6月25日は雨で始まった。開始時刻の午前9時には晴れ、13台のマシンが順にスタートを切った。

スタート直後、今回のシャシー番号1006をドライブするジャン・シャサーニュは2位。アルバート・ギヨがドライブするデューセンバーグが3位で続いた。ヘンリー・シーグレーブが駆るタルボが後を追う。

アメリカ人のラルフ・デ・パルマがドライブするバッロは、マティスをドライブするエミール・マティスに並んだ。ところが、優勝を掴むデューセンバーグのジミー・マーフィーは、スタート直後から激しい追い上げを見せた。

2ラップを終える頃には、トップに躍り出る。同じデューセンバーグのジョー・ボイヤーが2位に割り込んだ。

シャサーニュとデ・パルマのバッロも懸命に食い下がった。マーフィーは7分46秒の好タイムで周回。圧倒的な速さを見せたが、リアタイヤの交換でシャサーニュに抜かれる。

フランスのバッロ・チームが選んだのは、ストレート・サイドのピレリ製タイヤだった。ほかのチームがピットストップで時間を奪われる中で、問題なく距離を重ねていった。

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