【ローライダー・クイーン】ピンク色のシボレー・インパラ 東LAのアイコン 後編
公開 : 2020.09.13 16:50 更新 : 2020.12.08 08:36
ヒスパニック系コミュニティでの意味
ボディの内側も、新車のようにきれいに仕上げられた。車高は5インチ、127mmほど下げられ、もともとはワイヤーホイールを履いていた。
スタイリング自体は標準のまま。ターボファイアと呼ばれた5.3LのV8エンジンと、パワーグライド・トランスミッションも、変更されていない。
トランクリッドを開くと、強力な油圧コンプレッサーと、稼働用のバッテリーが並ぶ。車輪を個別に鋭く上下できるシステムだが、後年に追加された機能だという。
3代目ジプシー・ローズの見事な仕上がりは、1974年の発表以降、多くの人の記憶に刻まれることとなった。数え切れないほどのカスタムカーの賞を受賞し、各地のホットロッド・イベントで展示された。
ジプシー・ローズの伝説が生まれたのは、ストリートだった。ヒスパニック系のコミュニティでは、ローライダーは特別な意味を持っていた。
「クルマを美しく仕上げることが、名誉なことでした。金曜日の午後、学校が終わると急いで家に帰り、ジプシー・ローズを磨いたものです」。インペリアルズ・カークラブの会計、マイク・トーレスが持つ若い頃の記憶だ。
「13才の頃から運転していました。沢山の仲間が集まって、ストリートを流しました。日曜日にミーティングをして、ピザのチェーン店で一緒に過ごす時間は特別です」
バラデスの死で再び注目を集める
「ジプシー・ローズは、ショーのためのクルマではありません。いつも路上にありました。美しいクルマが集まり、仲間と一緒に走る。その一員になれたことは、興奮する体験でしたよ」
ジプシー・ローズは、俳優のフレディー・プリンゼの提案で、ホームコメディ・ドラマ「チコ&ザ・マン」へ登場。一躍、全米で有名なカスタムカーとして、知名度を高めた。バラデスが運転するジプシー・ローズは毎週、金曜日の夜にテレビに姿を見せた。
1970年代が終わると、ローライダー・カルチャーは下火に。3代目ジプシー・ローズも、徐々に忘れられていった。バラデス自身もフォルクスワーゲン・バスへ乗り換え、数年間ほど放置されてしまう。
ジプシー・ローズが路上から姿を消すと、ローライダーはギャング文化と近い存在として見られるようになった。ウィッター・ブールバードの通りは暴力で溢れ、ライバル・ギャングのガレージへの攻撃も絶えなかったという。
惜しまれつつ、バラデスは2011年、64歳でにこの世を去る。その葬儀のために、ジプシー・ローズは路上へ戻った。
棺には、ジプシー・ローズをオマージュした絵が描かれた。400台近いローライダーがウィッター・ブールバードへ集結。ジプシー・ローズに続く、教会までのパレードランとなった。カークラブの代表が各地から集まり、バラデスへの哀悼を示した。
「沢山の人がバラデス葬儀に参列しました。彼がローライダー・コミュニティへ与えた影響を知りました。とても謙虚で、素晴らしい人でした」。マイク・トーレスが偲ぶ。