【ユーノス、アンフィニ、オートラマ……】マツダ5チャネル戦略 狙いは何だった? 背景にバブルの加熱 教訓は?

公開 : 2020.09.02 11:50  更新 : 2021.10.13 12:20

代表車種も生まれたが、バブル崩壊

89年にスタートしたマツダの5チャネルだが、多くの代表車種も残している。

その代表格と言えるのがユーノス・ロードスターだろう。もはや説明不要の日本を代表する軽量オープン2シーターは、ユーノス店の専売車種第1弾としてリリースされたものだった。

ユーノス・ロードスター。マツダ5チャンネルで生まれたモデルの代表格といえる。
ユーノス・ロードスター。マツダ5チャンネルで生まれたモデルの代表格といえる。    マツダ

またアンフィニからはアンフィニRX-7、いわゆるFD型と呼ばれるRX-7がリリース。オートザムからは大ヒット車種となったキャロルやガルウィングの軽自動車、AZ-1なども生まれている。

当時は5チャネル合わせて年間販売台数100万台を目指してスタートを切ったが、ミドルクラスセダンであったカペラの後継車種として3ナンバーボディを引っ提げて登場したクロノスと、クロノスをベースとした兄弟車が知名度のなさもあってか軒並み不作。

そこにバブル崩壊も相まって、94年にはオートラマ店がフォード店に、96年にはユーノス店が廃止になるなどあっという間に5チャネルは崩壊してしまうのであった。

結局、バブル景気に乗って結果を焦るがあまり、十分なラインナップが揃わないまま見切り発車をしてしまったのがマツダ5チャネル戦略の失敗の原因と言えるだろう。

現在のマツダはミニバンや商用車、軽自動車の自社開発、生産を止め、得意とするジャンルのみで勝負する体制になっている。

5チャネル戦略失敗を教訓としているからなのかもしれない。

記事に関わった人々

  • 小鮒康一

    Koichi Kobuna

    1979年生まれ。幼少のころに再放送されていた「西部警察」によってクルマに目覚めるも、学生時代はクルマと無縁の生活を送る。免許取得後にその想いが再燃し、気づけば旧車からEV、軽自動車まで幅広い車種を所有することに。どちらかというとヘンテコなクルマを愛し、最近では格安車を拾ってきてはそれなりに仕上げることに歓びを見出した、尿酸値高い系男子。

おすすめ記事

 

人気記事