【イタリア製のオープン・リムジン】フィアット2800ロイヤル・トーピドー 後編
公開 : 2020.10.04 16:50 更新 : 2020.12.08 08:38
第二次大戦の直前、12台だけが生産されたリムジンが、フィアット2800ロイヤル・トーピドー。独裁化が進むイタリアで、ムッソリーニの権威を示すために作られたといえるモデルです。今も残る貴重な1台をご紹介しましょう。
もくじ
ーイタリア王室も利用したオープンの2800
ー欲しいと手を挙げる人がいなかった
ーファリーナ社製の芸術品のようなボディ
ー強い印象を得られない走り
ーソフトトップを閉じていた方が幸せそう
ーフィアット2800トルピード・レアーレ(ロイヤル・トーピドー/1938〜1944年)のスペック
イタリア王室も利用したオープンの2800
1938年から1944年にかけて、クローズドボディのフィアット2800は約600台が製造された。内務省の規定に合わされたリムジンは、288台が作られている。
さらに国家の最高要人用として、12台の2800がオープントップ・ボディで仕立てられた。手掛けたのはピニンファリーナで、トルピード・レアーレ(ロイヤル・トーピドー)と呼ばれる。今回ご紹介するクルマだ。
2800ロイヤル・トーピドーは、すべてがインペリアル・ブラックという特別色で塗られ、ピレリ製のアンチ・パンクタイヤを履いた。ヒトラーとムッソリーニは、このオープンの2800へ乗りローマをパレード。1台はスペインの独裁者、フランコ将軍へ贈られた。
イタリアとしては、壮大なサルーンを友好国へプレゼントすることは、1つの命題でもあった。ヒトラーは、770グロッサーをムッソリーニに届けていた。
2800は、イタリア王室でも広く使用された。12台のパレードカーのうち、6台には王室が飼う馬にちなんで名前が付けられた。オーガスタレにアウスピカレ、アミカレ、アルチェステ、アドメント、アルキノオ。ナンバープレートも、順番に与えられている。
その中で、シャシー番号000267のアルキノオは、当初ウンベルト王子のために確保された。しかし、ヒトラーや日本の昭和天皇、ナチス外務省などの移動にも登用。1940年から1943年にかけては、ムッソリーニが独占して使用している。
戦争が終わると、アルキノオはローマの所有へと移管。1946年からはイタリア共和国の車両となっている。
欲しいと手を挙げる人がいなかった
終戦以降のドイツでは、ナチス政権を想起させることから、黒く大きなサルーンは表舞台から遠ざかる。一方のタリアでは、再塗装をし、内装を設え直し、フィアット2800を1963年まで利用した。セレモニー用のクルマとして。
戦後の2800ロイヤル・トーピドーは現代的な容姿にするため、公式車両ではサイドマウントのスペアタイヤが降ろされた。1961年にロング・ホイールベース版ランチア・フラミニアに置き換わるまで、イタリア共和国の指導者たちがリアシートへ座った。
イタリア王室向けに名前が付けられた6台の2800ロイヤル・トーピドーは、ローマのフィアット代理店に払い下げられ、一般へ売却された。
今回ご紹介する2800ロイヤル・トーピドーは、アルチェステ。シャシー番号は000280で、6台で最も使用頻度が少なく、走行距離は1万1000kmでしかない。
今はトリノ郊外の小さな街で、長年同じオーナーによって保管されている。イタリアの王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が1943年の逃亡で使用した、2台の中の1台だという。
戦後の1950年には、エイナウディ大統領がミラノ見本市の開会式へ出席するために乗った。1970年には、ムッソリーニの伝記映画の大道具として出演してもいる。
「わたしの義父が、1968年か1969年に、トリノで購入したようです。当時、ほかに誰も欲しいと手を挙げる人はいなかったと聞いています」。と今のオーナーが説明する。