【心を打つパイクカー】日産フィガロ、イギリスでも人気 価格は上昇 デザインと運転のしやすさ理由
公開 : 2020.10.27 11:50 更新 : 2021.01.30 21:56
日産フィガロが誕生30年の節目を迎えました。愛らしいデザインの「パイクカー」として知られ、日本だけでなく英国でも人気を博しました。細部へのこだわりや運転のしやすさなど、衰えを知らない魅力をご紹介します。
日産が生んだパイクカーの傑作
キュートな日産フィガロが、デビュー30周年を迎えた。
まるでブリキのおもちゃのようだ。レトロなフィガロは、1950年代のキッチン・キャビネット、古いレコード・プレーヤー、戦後間もないころの英国や日本が得意としていた米国向けの小型車の時代を思い起こさせる。
車内に一歩足を踏み入れると、1990年代に話題になったCDプレイヤーにカセットプレーヤー、ラジオ、パワーウィンドウ、エアコンを備えており、外観とは裏腹に近代的なクルマであることが分かる。
フィガロのデザインは、1935年のダットサン・ロードスターや30年代のアールデコ・ファッションにインスパイアを受けている。
パワーウィンドウのスイッチがミニチュアのランプシェードのような形をしているなど、細部に至るまで一般的な日産車とは一線を画している。
R32スカイラインGTRなどの例外もあるが、1990年当時の日産は、空っぽの待合室のように退屈なセダンばかり売っていた。
フィガロは、日産が「パイクカー」と呼んだ最後のモデルだった。魚のパイクではなく、中世の槍を意味するパイクは、デザインが先鋭的なもの、つまり「尖っている」クルマを指して使われる。
80年代から90年代にかけて、日産のパイクカーは基本的に日本でのみ販売されていた。その歴史を簡単に振り返ってみよう。
Be-1
発売:1987年 生産台数:1万台
最初のモデルはBe-1である。
いまでこそ普通のクルマに見えるが、1985年にコンセプトとして発表されたときには、1960年代のスローバックと曲線的な未来主義のミックスがブルーバードとは対照的で、広く評判を呼んだ。
1万台生産されたBe-1の人気は非常に高く、日産は抽選制を導入したほどだ。後に、ファブリック・サンルーフを採用したモデルも登場している。
パオ
発売:1989年 生産台数:5万1657台
Be-1の次に躍り出たのはパオで、ネーミングからして驚きに満ちていた。
シトロエン2CVのようなボディパネル、カラーが施されたダッシュボード、キャンバストップ、露出したドアヒンジ、フラットなフロントガラスなど、1960年代初頭のクルマの特徴をふんだんに盛り込んだ、一風変わったコンパクトカーだった。
3か月という受注期間の中で、5万台が売れるという人気を博した。