【現存する唯一のフレンチ・クーペ】ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペ 後編
公開 : 2020.11.21 16:50 更新 : 2020.12.08 08:18
最高速度が112km/hだとは信じられない
ツイン・ソレックスを載せていても、動的性能は期待しない方がいい。トルクはあるが、馬力が足りない。
低速域からトップに入れたまま加速でき、減速なしでロータリー交差点を回ることもできる。しかし上り坂では途端に遅くなる。丘に差し掛かり、3速、2速、1速へとシフトダウン。それでも、エンストして登りきれなかった。
回転数が上がっていれば、緩やかな勾配なら問題ないだろう。それでも、80km/hほどの速度域になると、コーヒー・グラインダーのように騒がしい。しかも、シンクロのないトランスミッションでの変速を、身につける必要もある。
「ダブルではなく、トリプルクラッチが必要です」。とホエールが笑う。少なくとも、クラッチペダルは重さもちょうど良く、スムーズに踏める。ワイヤーで動かすブレーキも、驚くほど漸進的に制動力が高まり、充分に減速できる。
そうとはいえ、ローゼンガルトのパフォーマンスを探る気にはならない。ステアリングは滑らかで、手のひらに伝わる感触も充分だが、それ以上の長所はない。
乗り心地は特にフロント側で減衰力が足りず、ギクシャクする。舗装の状態が悪いと、ピッチングが収まらず、直進性にも影響が出る。ボディは剛性が足りず、タイヤからの揺れが伝わってくる。
路面が滑らかな状態でも、60km/hを超えると落ち着きがなくなる。安全とはいえない。最高速度は112km/hだとローゼンガルトはうたっていたが、とても信じられない。
隠しきれなかった技術不足と高すぎる価格
近年新しい燃料タンクに交換され、点火時期の調整を受け、キャブレターがオーバーホールされた。「生まれ変わりました。前回運転したときは、65km/h以上で走れたんです」。とホエールが教えてくれた。
われわれが試乗したタイミングでは、少し色あせていたのかもしれない。それでも、1930年代の基準として、ローゼンガルト・スーパーセプトの水準は大きく下回っていた。走りの割に、苦労が大きすぎる。
1940年が見えてきた頃、1922年製のオースチン・セブンをベースとしたクルマを作るというアイデア自体が良くなかった。スマートな容姿とマーケティング活動だけでは、技術不足を隠すことはできなかった。
1938年、ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペで、グラン・ルックス仕様の価格は2万4710フラン。シトロエン・トラクシオン・アバン7Cとほぼ同じ値段だった。見た目の良い小型車、ルノー・ジュヴァキャトルより、4000フランも高かった。
同じ頃、シムカはフィアット・トッポリーノのライセンス生産を始める。気の利いたタウンカー、シムカ・チンクの価格は、トップグレードでも1万5000フランしなかった。
運転のしやすさでも、ローゼンガルト・スーパーセプト・クーペはシムカ・チンクにもルノー・ジュヴァキャトルにも敵わない。ローゼンガルトが、陽気なリビエラで画家の道を選んだのは、正解だったといえる。