【F1チャンプが駆ったGTA】アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA 1966年の姿を復元 前編
公開 : 2020.11.29 07:25 更新 : 2020.12.08 08:18
英国、スウェーデン、ハンガリーでの善戦
アウトデルタ・チームからは合計5台のGTAが出場しており、VDSチームからも2台が戦った。だが、フーベルト・ハーネとジャッキー・イクス組によるBMW 2000TIに、勝つことはできなかった。
新エンジンへ慌ただしく換装されると、AR613102はスネッタートン500kmレース出場に向けて、英国へ渡る。ミラノから5台のGTAを、トランスポーターに積載。スパから洗車されることもなく、夜間走行用のスポットライトも付いたままだった。
若きアンドレア・デ・アダミッチやナンニ・ギャリ、F2レーサーのヨッヘン・リントなどがステアリングを握った。ジャッキー・スチュワートがドライブするロータス・コルチナが、ウェットコンディションをリードする。
優勝したのは、アルファ・ロメオGTAのアンドレア・デ・アダミッチ。ヨッヘン・リントはクラッシュし、コースを離脱した。
続く1966年8月21日のスウェーデン・カールスクーガ・レースで、リントはAR613102のGTAをドライブ。スタートからゴールまでレースを支配し、ファステスト・ラップも記録。ロータス・コルチナが保持していた記録を1.9秒も塗り替えている。
翌月、ETCCはハンガリー・ブダペストへ舞台を移す。AR613102のGTAには、アンドレア・デ・アダミッチが座った。フロントが低くかがんだスタイルを身につけ、これまで以上に戦闘力を高めていた。
ネープリゲト公園がサーキットで、タイトなコーナーをGTAはインリフトさせながら周回。ハンガリーのモータースポーツ・ファンを魅了する走りを披露した。
ラップレコードも記録するが、アダミッチは最終ラップで縁石にヒット。ゴール間際でリタイアを喫する。
ヨッヘン・リントの圧倒的な勝利
10月9日、AR613102のGTAにリントが復帰。オーストリア・インスブルック空港を舞台とするレースで、見事なスキルをいかんなく発揮。GTAを派手にドリフトさせながらレースを支配し、圧倒的な勝利を収めた。
当時、アルファ・ロメオとアウトデルタ・チームは、ワークス仕様のGTAの販売を制限していた。チーム外の人が購入するには、特別なコネクションが必要だった。
裕福なスウェーデン人プライベーター、シエル・エアマンは、資金に余裕があったがつながりはなかった。そこで、ラリー・ドライバーのオベ・アンダーソンが仲介に入っている。
1966年11月にエアマンへの売買契約は結ばれるが、GTAは1967年3月までイタリアに残った。AR613102は、アウトデルタ・チームによってテスト走行などに投じられた。
1967年のテスト走行を、英国人レーサーのローディ・ハービー・ベイリーは鮮明に覚えている。アルファ・ロメオで働いていた友人の紹介だったという。「1967年2月、テスト・ドライバーのテオドロ・ゼッコリに会いました」
「ミラノ郊外のセッティモ・ミラネーゼからバロッコまで、アルミニウム製のフロアを持つレースカー、AR613102をドライブしました。きれいな状態ではありませんでしたが、間違いなくレースを戦ったマシンでした」
「エンジンはとてもデリケートで、4000rpm以上で回していないと止まってしまうんです。サーキットに着くには、1速で狭い橋を渡る必要があり、気を使いましたよ」