【F1チャンプが駆ったGTA】アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA 1966年の姿を復元 後編

公開 : 2020.11.29 19:25  更新 : 2020.12.08 08:19

艷やかなボディの、真っ赤なアルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA。ヨッヘン・リントが1966年のツーリングカー選手権を戦った、本物のレーシングマシンです。見事なレストアが施されたアルファをご紹介しましょう。

1966年当時のアウトデルタ・チーム仕様

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
英国人ドライバー、ハービー・ベイリーが最も印象的だと話す、アルファ・ロメオジュリア・スプリントGTAでのドライブは、1968年のスネッタートン・サーキット。総長500kmのレースで、強力なライバルを相手に5位でフィニッシュしている。

そのレースでのメカニックは、コメディのようだったらしい。「エンジンオイルの補充は、注射器のような道具。その道具をクルマの反対側に投げるので、フロントガラスはオイルまみれ。ピットアウト後の数周は先が見えず、コーナーを予想するしかないんです」

アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA(1966年)
アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA(1966年)

アウトデルタのマシンが、いつも汚れていたことにも驚いたという。「マシンには走行時の汚れが残ったまま。メカニックは、きれいにすることに感心がない。きれいにしては、と聞いてみても、彼らは乾いた軽く布で拭く程度でした」

GTAの多くはレースシーンに投入され、限界領域で運転され、改良が加えられた。クラッシュで姿を消すことも少なくなかった。1966年当時のアウトデルタ・チーム仕様のマシンを見つけることは、極めて難しい。

マックスとアンドリュー・バンクス兄弟は、知人からスウェーデンのプライベート・ミュージアムにあるAR613102の存在を知る。「自分たちのGTAとGTA-Rを仕上げ、レース参戦することにその頃は集中していました」

「オリジナルのクルマをガレージに追加するのも、悪くないと思ったんです。1年後、クルマを見ることもなく契約を結びました」。バンクス兄弟の父、リチャードはメルセデス・ベンツのエステートに乗り、スウェーデンを目指した。

5年に及んだレストア作業

「最初に実物を見たのは、わたし。アルファTZと、ロニー・ピーターソンがドライブしたマーチのF1マシンとの間に展示されていました。素晴らしいコンディションでしたよ」。と回想するリチャード。

「トレーラーに積載し牽引して帰る途中も、多くの人の注目を集めました。往復3日間、4000kmの旅になりました」。ヨッヘン・リントとGTAとの結びつきが、バンクス兄弟を魅了している。F2マシンを駆るリントの姿を、実際に当時目撃しているという。

アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA(1966年)
アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA(1966年)

「若きオーストリア人の走りは、大きな衝撃でした。いつもテールスライドで、とても速かった。彼がF1パイロットになれなかったのは残念ですね」

マックスが話す。「古い書籍から、リントやアンドレア・デ・アダミッチとGTAとの関わりが証明できました。50枚以上の写真を集めて、参考資料としました。クルマはスウェーデンのアルファ・マニアが長年所有し、一部レストアされていました」

「ヒストリックカーのイベント用に、アップデートされた部分もありましたが、オリジナル部品も残っていました。アルミニウム製のフロアはリベット留めされ、当時の姿そのものです」
   
「リントがレースで戦う写真を調べ、フロントの車高が低くキャンバー角の強い、独特のセットアップに気付きました。彼好みに調整されていたのでしょう」

レストアは2011年に始まり、2016年に終了した。マックスが続ける。「特別なクルマでしたし、興味深いディティールは都度確認。オリジナルのままだと判明するたびに、喜びました」

「専用のトランスミッション・ブラケットやアルミニウム製のウインドウ・メカ、リア・サスペンション周りなど、すべての部品が注目に値します。アウトデルタ・チームの細部へのこだわりにも感心しました」

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