【燃料タンクがボディ】ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター 前編

公開 : 2020.12.12 07:20

P-38ライトニングの燃料タンクがボディ

「その頃手元にあったのは、ジミー・サマーズが手掛けたカーソントップという、リムーバル・ルーフの付いた1934年式のホッドロッド。とても美しくカスタマイズされていて、それでレースに出たいとは思いませんでした」

ボブ・ルフィやアーニー・マカフィーといったドライバーが、SCTA主催のストリームライナー・レースで競っていた。干上がったエル・ミラージュ湖では、ビル・バークが小さな革命を起こしていた。

ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)
ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)

戦闘機、P-51マスタング用の165ガロン燃料タンクの寸法を大まかに知っていたバーク。ホッドロッドのボディとして使えると思いつき、カリフォルニアでフロント・エンジンのレーサーを制作する。

その後、P-38ライトニング用の燃料タンクへスイッチ。話題を呼び、友人などにも同様の手法でクルマを作り始めた。その中に、シディアスもいた。

「ビクトリー・ブルバードへショップを移転すると、充分なガレージが手に入りました。そこで1934年式を売って、ピックアップ・トラックを購入。ベリータンク・レイクスターの1号を作ったんです」

シディアスは、60ドルでフォード・モデルTから派生させたシャシーを用意し、ボディが組まれた。パワーを求めて、エンジンはフォード製V8を選んだ。ミジェットカー・レース用として流通し、部品は手に入りやすかった。

荒削りのダイヤの原石を磨き込んだのは、ボビー・ミークス。ヴィック・エーデルブロックのショップで働いた経験を持っていた。「ビジネスを早く進めたいと考え、ヴィック・エーデルブロックに協力を仰ぎました。信頼できる相談相手でした」

風洞実験から導かれたストリームライナー

「ベリータンク・レイクスターは、レイクコースで運転した初めてのクルマ。それまで96km/hを超えたことなどなく、かなり緊張しました。実はね」。笑みを浮かべるシディアス。

「ベリータンクの中に座ると、お尻は地面から10cmくらいしか離れていません。前輪の間から、前を見る。いつも運転しているクルマとは異なる体験。でもすぐに慣れて、209km/hに到達。クラスレコードを樹立しました」

ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)
ソーキャル・スピードショップ・ベリータンク・レイクスター(1952年)

ソーキャル・スピードショップのマシンは、クラスAの記録を何度も塗り替えた。レーサーは、干上がったエル・ミラージュ湖では収まりきらない性能を持つようになっていた。

適したコースを探し、ホッドロッダーたちはボンネビル・ソルトフラッツへ集まるようになる。英国人レーサー、ジョン・コッブがレイルトン・スペシャルをドライブし、400mph(643km/h)を目指していた場所だ。

「走行許可が出て、有名な英国人が記録を打ち立てた場所を走行できることに、興奮しました。違うマシンで挑戦したい、ともね」

アウトウニオンによる、風洞実験のレポートが記された本を手に入れたシディアス。友人のディーン・バッチェラーとともに、新しいボディ制作に着手する。「風洞実験の内容や結果が、すべて載っていました。おもしろい本でした」

「フルボディで前面面積が50%増えても、タイヤを覆うことでドラッグを50%減らせる。その結果から、ベリータンクのボディを降ろし、アルミニウムでストリームライナーを成形しました」

エーデルブロックの156cu.in.(2556cc)V8エンジンを搭載した、ワイド&ローなレーサーが生まれた。

この続きは後編にて。

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