【30psでも浸れる喜び】初代フィアット・パンダ30 ジウジアーロの四角いボディ 前編
公開 : 2020.12.19 07:25
理解しやすく発音も簡単なパンダ
デザイン評価を行うモックアップ・モデルの制作を、たった3か月で仕上げたジウジアーロ。2台のフルサイズ石膏モデルは、翌年の1月にフィアットへ届けられた。1977年9月に仕上げられたプロトタイプ・ボディは、量産モデルに近い完成度を得ていた。
プロトタイプから量産モデルへ展開する前に、フィアットCEOのウンベルト・アニェッリからグラスエリアを数cm大きくする変更が加えられた。デザインは見た目だけでなく、エンジニアからの評価が高かったことも、大きな特徴だろう。
当時のAUTOCARでは、次のようにレポートしている。「ボディを構成する部品点数を減らし、組み立て工数を少なくするフィアットの取り組みは、見た目ではわかりません。通常のモデルより部品は18%少なく、スポット溶接は28%も少ない。コストダウンにつながるでしょう」
その頃のフィアットは、伝統的にモデル名へ数字を与えていた。もしかするとパンダではなく、プロジェクト番号の141が与えられた可能性もあった。しかし、いわゆる「名前」が与えらた。
最初にフィアットから命名されたのは、ハッチバックのリトモ。続いて決められたパンダは、言語を通じて理解しやすく、発音も簡単だったから。
ところが世界自然保護基金(WWF)から、シンボルであるパンダを車名に利用したとして異議が上がる。フィアットはWWFのメンバーとして1年加入することで、同意を得ることになった。
優れたデザインと設計で複数の賞を受賞
1980年の発売当初、パンダには2種類のエンジンが用意された。パンダ30が積む652ccの直列2気筒空冷エンジンは、126からの流用。控えめながら、6psが増強されていた。
パンダ45が積んだのはフィアット127譲りのプッシュロッド直列4気筒。903ccから45psもの力を振り絞った。
一部の地域ではパンダ34エディションとして、フィアット850に積まれていた843ccエンジンを載せたモデルも展開。すべてに4速MTが搭載されていたが、パンダ30ではほかのバリエーションよりギア比が低い。
1981年のカー・オブ・ザ・イヤーで、フィアット・パンダは3代目フォード・エスコートに次ぐ2位を獲得。複数の自動車賞も受賞している。ジウジアーロは、優れた工業デザインに与えられるイタリアのコンパッソ・ドーロ賞を獲得した。
ある男性は、イタリアの新聞へ意見を寄せた。「フィアット・パンダは、ジーンズのような存在。フリルのような飾りもない、シンプルで実用的なクルマです」。見事に書き表している。
コストダウンにも関わらず、パンダのディテールは見事だ。ボディの下半分にはポリエステル樹脂のボディガードが付き、ツートンカラーを構成。一般的なボディより、擦り傷が付きにくい。
フィアット・パンダは戦略的な価格で、当初から好調に売れた。英国にやってきたのは1981年5月。2860ポンド、現在の価値で1万1500ポンド(155万円)という設定は、ミニ・シティより若干高いものだった。
この続きは後編にて。