【レースを始めたのは65歳】一家3世代で楽しむフレイザー・ナッシュ ビンテージ・レース 前編
公開 : 2021.01.10 07:25 更新 : 2022.08.08 07:34
保険金で購入したライレー・ケストレル
「コロナで我慢の1年でしたから、3世代でのレースは、とてもいいタイミングに思えました。わたしも父も、それぞれ動くクルマがあって、息子にも親切な提案がありました。無事、一緒にマロリー・パークへ来れました」
ビンテージカーに対する一家の情熱は、読者のご想像どおり、祖父アンディの影響が大きい。間違いなく、息子から孫へと受け継がれている。アンディが話す。「わたしはVSCCのメンバーになって、55年が経ちます」
「スポーツカー・クラブが結成したのは1954年。それ以前は、ビンテージという言葉はスポーツカーに用いられていませんでした。ずっとビンテージカーに興味があり、わたしが初めて手に入れたのはオースチン・セブン・ルビーでした」
「それからVSCCの規定に合うクルマが欲しくなり、フォード・エンジンを搭載したMGを購入したんです。でも、すぐにクラッシュ」。苦笑いするアンディ。
「仕事中、事故で指先を切断する怪我をして、当時126ポンドの保険が降りました。そのお金から80ポンドを使って、ライレー・ケストレルを買いました。さらに、ラゴンダ2リッターへ乗り換えています」
「結婚して子供ができると、ヨットレースを始めたので、クルマに回すお金はありませんでした。ダガルが大きくなって、40歳を過ぎた時にVSCCへ再び加入。妻とレイクランド・トライアルというレースを見に行ったとき、妻がわたしにいったんです」
レースを始めたのは65歳になってから
「フレイザー・ナッシュを買えば、一緒に参加できるんじゃないの?って。それから2年間クルマを探して、25年前に1925年式のフレイザー・ナッシュ・スーパースポーツを購入しました。今も所有しています」
すでに2度リビルドされているスーパースポーツは、工場を出た時のオリジナル状態を忠実に保っている。今はヒルクライムやサーキット走行が中心だが、当初の15年間はオフロードでのレースを楽しんでいたらしい。
「このスーパースポーツを購入してすぐに、フレイザー・ナッシュ・カークラブに加入。しばらくしてクラブキャプテンに選出され、レースライセンスを取得した方が良いな、と思ったんです」。とアンディが振り返る。
「レースを始めたのは、65歳になってから。かなり遅い方ですよね。サーキットでも一番遅いですが、楽しく走っています」
「わたしが運転免許を取った頃は、当時の現役だったMGAやトライアンフTR2などより、ビンテージ・スポーツカーの方が優れている場合もありました。レースに加わる、手短な手段だとも思いますよ」
息子のダガルが口を挟む。「確かにモータースポーツへ参戦する安価な手段でしょう。ウィルフのオースチン・セブンは6000ポンドしていません。でも、競争力を高められるかどうかは、彼の腕次第ですよ」
この続きは後編にて。