【聖地はドイツにあった】マツダ・ミュージアム 世界最大級の展示内容 100年の歴史に浸る

公開 : 2021.01.05 16:25

創立100周年を迎えたマツダの本拠地は広島ですが、世界最大級のマツダ・ミュージアムはドイツのアウクスブルクにあります。150台以上の実車が保管され、ファンの聖地ともいえるミュージアムを訪れました。

マツダファンのメッカ

text:James Disdale(ジェームズ・ディスデール)
translator:Takuya Hayashi(林 汰久也)

マツダの100周年を祝うなら、広島への旅行がちょうどいいのではないか。そう思われるかもしれないが、実はそうではない。広島には100年前からマツダの本拠地があったが、その歴史に浸るには、ドイツのアウクスブルクに行かなければならない。

そこには、世界最大かつ最高のマツダのコレクションを誇るフレイ・ミュージアム(Mazda Classic Automobile Museum Frey)がある。50台以上の実車が展示され、100台以上が倉庫に保管されている。そのすべてが走行可能というから驚きである。

マツダ・ルーチェ
マツダ・ルーチェ

しかし、すべてはクルマではなく、コルクから始まった。1920年、松田重次郎が広島でコルクを製造する東洋コルク工業株式会社を設立。松田は1年ほどで工作機械の製造に進出し、やがて社名から「コルク」を外した。

1930年には、初の自動車が登場し、マツダの名前が初めて使われた。マツダ・ゴーは三輪商用トラックで、基本的にはオートバイとピックアップを組み合わせたものであった。

フレイ・ミュージアムには、1950年製の後期型のゴーが展示されているが、グループBラリーカーのRX-7のレプリカとともに、めったに走らない2台の展示車のうちの1台となっている。その排気音のせいで、スロットルを開けた瞬間に近所の人たちが怒りの声を上げて議会に通報してしまうからだ。

国内でのゴーの成功を受けて、マツダは1940年に2ドアの小型セダンの開発に着手した。しかし、日本は第二次世界大戦に突入したため、試作段階を通過することなく、工場は軍需工場となってしまった。マツダが次の自動車を発売するのは、20年後のことであった。

1945年8月6日、広島はアメリカによる原爆投下の標的となる。同15日に終戦を迎えたものの、マツダの工場は大きな被害を受け、残った工場も仮設の病院として使われた。しかし、ゴーの生産は年末に再開され、1949年には初めて海外輸出が開始された。

その後の15年間で、マツダは商用車メーカーとして成長し、1950年代末には約30種類のピックアップやバンを販売していた。そして1960年には、同社初の乗用車であるR360が登場した。軽自動車規格の2+2のクーペは瞬く間にヒットし、小型車クラスでは日本の最大手となった。

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