【聖地はドイツにあった】マツダ・ミュージアム 世界最大級の展示内容 100年の歴史に浸る
公開 : 2021.01.05 16:25
ロータリーエンジンの登場
R360のデビューから1年後、マツダはドイツのNSU社からワンケル・ロータリーエンジンのライセンスを取得。開発に数年を費やした後、1967年にコスモスポーツの生産を開始した。ミュージアムの発起人であるウォルター・フレイの、マツダへの情熱の火付け役となったクルマである。
展示されている110S(コスモスポーツ)は、彼がコレクションのために購入した最初のクルマだ。1980年にニュージャージー州のディーラーから入手し、ドイツでフルレストアを受けた。
1960年代、マツダはファミリア800をはじめ、ベルトーネスタイルの大型セダン、エステート、クーペのルーチェなど、主力車種を次々と投入していった。欧州を皮切りに、1970年には北米への輸出を開始した。
ブランドの中心となったのは米国で、特にロータリーが人気を博した。1973年、マツダはこのエンジンを搭載したクルマを25万台生産し、世界のメーカーのトップ10入りを果たした。
しかし、この年は石油危機の年でもあり、その2年後には米国で触媒コンバーターの装着が義務化された。マツダは多額の借金をしなければならず、結局、1974年にフォードが33%の株式を取得することに合意した。
この提携により、マツダはフォードの豊富な予算を活用し、フォードはマツダの技術力を活用することができた。323や、最近では2、3など数多くのモデルが共同開発された。マツダは2015年にフォードの株式を買い戻して独立したが、その後間もなくトヨタとハイブリッド・パワートレインの開発に重点を置いた提携を結んだ。
マツダが独自の道を歩んだプロジェクトの1つにロードスターがある。米国人ジャーナリストのボブ・ホールと当時の山本健一社長が発案したこの軽量2シーターは、1989年に発売されて以来、その存在感を示し続けてきた。フレイのミュージアムには、179台しか生産されなかった希少な2代目(NB)ベースのクーペをはじめ、多くのロードスターが展示されている。
マツダは長年にわたって革新を続けてきたが、斬新な圧縮着火式ガソリンエンジン「スカイアクティブX」をはじめ、最近ではプラグイン・ハイブリッドの発電機としてロータリーを復活させるという話もある。
しかし、マツダが将来どのようなモデルを作るにしても、フレイ・ミュージアムには常に展示スペースがあるということだけは確かだ。