【西海岸のウッディワゴン】ビュイック・センチュリー、パッカード110、フォード・スーパーデラックス 前編
公開 : 2021.01.30 07:25 更新 : 2023.05.02 09:49
パワフルな直列8気筒エンジンを搭載
カリフォルニアを拠点とするクレビエ・クラシックカー社は、様々なクラシックモデルを扱っているが、ウッディも得意分野。代表のドニー・クレビエはウッディに対する情熱も豊かで、美しく手入れされた素晴らしいコレクションを保有している。
コレクションから選ばれた3台の中で、最も年式が古いのは1938年式のビュイック・センチュリー。世界大恐慌後のアメリカの復調を良く表すモデルといえる。1933年には4万3000台程度だった販売台数は、4年後には22万台にまで伸びている。
ビュイックの好調を支えていたのが、1936年から始められたラインナップの大胆な合理化。GMのスタイリング部門で副代表を努めていたハーリー・アールが指揮を取り、モデルを再構築していった。
流線型のデザインをまとったAボディのスペシャル、Bボディのロードマスターとリミテッドを発表。そして、銀行マンの快速モデルとしてスイートスポットになった、センチュリーも誕生する。
小さなAボディに、ロードマスター用のパワフルな直列8気筒ダイナフラッシュ・エンジンを載せていたのがセンチュリーの特徴。強力な油圧ブレーキも搭載し、主要技術も新しく見直されていた。
モデルレンジを新鮮に保つというアールの意向を受け、センチュリーは1937年にデザインを一新。3200mmの長いホイールベースを獲得し、ボディは低くワイドに成長する。車重は増えたが車内には余裕が生まれ、直列8気筒は10ps増しの131psを獲得した。
馬車を手掛けていたコーチビルダー
さらに1938年、大きな改良が施される。フロントグリルの水平バーが減らされるなど、見た目の変化は小さかったが、内部の進化が著しかった。
旧式になっていたIフレーム構造は、強固なXフレーム構造へ一新。リアサスペンションはコイルスプリングになり、木製ボディで重量が増加すると揺れは大きかったものの、滑らかな乗り心地を獲得していた。
ダイナフラッシュ・エンジンは新しいピストンに置き換えられ、圧縮比を高めてパワーを向上。最高出力は143psに届いた。
ドニー・クレビエのコレクションとなるビュイック・センチュリーがデトロイトのフィッシャー・ボディ工場を旅立ったのは1938年。ニュージャージー州のジョセフ・ワイルドエンジャー社でコーチビルドを受ける。その頃、ウッディの人気は下火傾向に入っていた。
ジョセフ・ワイルドエンジャー社は、ハンガリーで馬車の製造をしていたのが起源。1910年にアメリカへ移住すると、木製ボディの製造を手掛けるようになる。1922年に会社を設立するまでに、フォード・モデルT向けのボディなどで経験を積んでいた。
以降、500台以上のステーションワゴン・ボディを製造。多くはフォード・モデルTやAなど、安価なモデルがベースとなっていたが、ピアスアローやキャディラック、ビュイックなど高級ブランドのクルマを請けることも。
しかし世界恐慌のあおりを受け、ジョセフ・ワイルドエンジャー社は倒産してしまう。
この続きは後編にて。