【W123型 230 TE】メルセデス・ベンツ初のステーションワゴン 英国導入を決めた男 前編
公開 : 2021.01.31 07:25
マーケティング部門で価格やグレードを決定
アッシュマンは大学を卒業すると、ガールフレンドと一緒にフォード・エスコート・メキシコで南アフリカを目指す旅に出た。「完璧なクルマでした。軽量で、砂の上を舐めるように走るんです」
長旅を終え英国に戻ると、ポルシェが会計部門の人材募集をしていることを知る。「ポルシェで面接を受けたあと、メルセデス・ベンツで働く友人に会いました。彼にポルシェでの面接の話をすると、メルセデス・ベンツに戻って働かないか、と誘ってくれたんです」
「メルセデス・ベンツが当時提示してくれた報酬は年額で2460ポンド。とてもいい条件でした」。1973年4月、アッシュマンはメルセデス・ベンツで本格的に働き始めた。
その後すぐ、英国のメルセデス・ベンツをダイムラー・ベンツAGが買収し、直接的に経営へ参画。1974年1月から、ドイツのマネージング・ディレクターが英国へやって来た。
「ドイツでは、マネージング・ディレクターにはアシスタントがいます。わたしも適任として、5年後にマーケティング部門へ異動となりました」
弱冠30歳だったアッシュマンだったが、マーケティング部門でモデルの販売価格や英国仕様を決定する立場に就いた。グレードや標準仕様、オプション装備の選別など。
「とてもラッキーでしたね。先輩の3名は、全員商用車が専門。乗用車は、ほぼわたしが仕切っていました。自分が正しいと考えたことの実行を任されました」
右ハンドル車のテスト走行でドイツへ
販売が多く見込めるクルマは、自動的に右ハンドル車の設定が決まる。「ロングホイールベース版のエアポート・タクシーなど、少量生産モデルは、英国でも必要か問われます。香港など右ハンドル市場全体で充分な需要があれば、生産が決まります」
「通常は左ハンドル車より、半年遅れくらい。W126のSECクーペは、何らかの理由で左ハンドル車と右ハンドル車が、同じタイミングで売られました。例外的に」
アッシュマンは、右ハンドル車のプロトタイプが仕上がると、シュトゥットガルトへ定期的に招かれた。「ほかの人より速く運転できる技術を認めてもらい、本社の技術者が意見を求めてきました。テストドライバーより、右ハンドル車に慣れてもいましたから」
左ハンドル車前提のモデルを右ハンドル車へ作り変えることは、当時のメルセデス・ベンツにとっても簡単な仕事ではなかったようだ。「ひどかったのはW124型。フットペダルのサイドブレーキを備えた、初めての右ハンドル車になりました」
「センターコンソールやダッシュボードへ、レバーを備える余地はありませんでした。トランスミッション・トンネルや排気系統が、完全に左ハンドル車前提で設計されており、空間的にハンドブレーキの機構を載せられなかったんです」
とはいえ1980年代初頭までは、W123のステーションワゴンは好調に売れ続けた。アッシュマンがW123にワゴンボディのTが追加されると聞いたのは、1970年代の半ば。ブレーメンの工場での生産が決まっていた。
この続きは後編にて。