【ラリー・モンテカルロ優勝】1931年インヴィクタSタイプ 時価2億8000万円 前編

公開 : 2021.02.06 07:25  更新 : 2022.11.01 08:55

1931年のラリー・モンテカルロへ挑む

「完璧な路面コンディションでも、氷の上を走っているようでしたよ」。また、トランスミッションの操作性にも不安はあった。

モンテカルロに向けた最終テストとして、ドナルドは人影の少ない道を選び、ダミーのショートコースを設定。何度もインヴィクタで走り込んだ。パイロンの周りを縫うように回り込み、目隠しでも感覚がつかめるほど、クルマとの一体感を身に着けていった。

インヴィクタSタイプと黒い飛行服を着たドナルド・ヒーリー
インヴィクタSタイプと黒い飛行服を着たドナルド・ヒーリー

彼のクルーとしては、ジャーナリストのサイモンズとルイス・ピアスが選出された。欧州各地にスタート地点が設けられていたが、チームが選んだのはノルウェー。ラリーが始まる直前まで、スタバンゲルの町で雪道に慣れる必要があったようだ。

このイベントに出場したのは、総勢147チーム。600ccのDKWやロールス・ロイスファントムIIなどのほか、グランプリレーサーのジャン・ピエール・ウィミーユはスポーティーなロレーヌ・クーペで参戦している。

1931年のラリーは、天候に恵まれなかった。それぞれが選んだスタート地点へすら、42チームがたどり着けなかった。

インヴィクタは準備万端。トリプルのスパイクタイヤを履き、チェーンも装着。ドライバーたちは、飛行服を着てSタイプに乗った。スウェーデンに到達すると短い休憩時間すら取れ、氷上でのテスト走行も可能だった。

ラリー序盤の1600kmほどは深い雪と氷の世界。ステアリングホイールはドナルドが握った。直線道路や路面状態がいい時には、チームメイトが運転席に座り、ドナルドを休ませる作戦を予定通りとっていた。

3600kmのほとんどをドライブしたドナルド

ところがドナルドが助手席で眠っていると、突然の揺れで目を覚ます。チームメイトが道を外れ、太い電信柱にインヴィクタをぶつけた衝撃だった。幸いにも、チーム全員に目立った怪我はなかった。

しかしインヴィクタのリアアクスルは左側へ75mmほどずれ、リアブレーキが固着。予定より遅れていたドナルドたちは、ブレーキシューをリリースするロッドを追加し、エグゾーストをリアのマットガード上にくくるなどの応急処置を施した。

インヴィクタSタイプ(1931年)
インヴィクタSタイプ(1931年)

試走で充分機能することを確認すると、ステアリングホイールを握ったのはドナルド。「ずれたリアタイヤの影響で曲がるので、ステアリングを反対側に切りながら補正して走りました」。とレース後に述べている。

ドナルドは、インヴィクタSタイプの不安定さはマックリンに責任があると考えた。チームメイトによる運転は危険だと判断し、ラリーイベントのほとんどを自ら運転。全行程3600kmのうち、昼間の幹線道路のみ助手席に座ったという。

歪んだ状態のSタイプだったが、タフなメドウズ製ストレート6は、轟音を響かせてワインディングを突き進んだ。「そのままモンテカルロまで走り続けました」

「アルプス山脈を登り、美しい朝日を受けながら南フランスのリビエラを走る。モンテカルロへ辿り着いた時の体験は、素晴らしいものでした」

激しいクラッシュで遅れたにも関わらず、チームへはペナルティが課せられなかった。疲労が溜まっていたドナルドだったが、最終スティントには自信があった。

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