【新型ヴェゼル話題】空振りの初代ホンダHR-V 人気SUVに「化けた」背景

公開 : 2021.01.22 17:05  更新 : 2021.10.09 23:41

ヴェゼルは世界的な大ヒット

こうした新奇を狙った新製品は、ヒットすれば大きいが、はずれればさっぱり、というのが通例となる。

そういう意味で「HR-V」は、空振りに終わった。自動車販売協会連合会の記録を見返すと、デビューの1998年から生産終了となる2006年まで、新車販売ランキング30位までにランクインすることは1度もなかったのだ。

ホンダHR-V(2代目、日本名:ヴェゼル)
ホンダHR-V(2代目、日本名:ヴェゼル)    ホンダ

しかし、SUVブーム真っただ中に生きる現在の目で見れば、初代「HR-V」のデザインは、それほど奇異なものではない。スッキリとしていて、探せば似たようなクルマがありそうな気さえもする。

ところが、初代「HR-V」が発売されていた1990年代末から2000年代初頭は、現在ほどSUVが一般的ではなかった。ホンダSUVの代表格である「CR-V」の初代が登場したのが、わずか4年前の1994年であったのだ。

初代「HR-V」の失敗は先に行きすぎていたというのが理由だろう。ちなみに、初代「HR-V」は欧米にも輸出されており、かの地では日本よりはヒットしたという。欧米の方が、そうした斬新なものを受け入れやすかったのかもしれない。

そんな初代「HR-V」の失敗を反省したのだろうか、7年のブランクを空けて誕生した「ヴェゼル」は、いかにもSUVというスタイル。

また、名称は初代の販売がさんざんであった日本では新たにしたが、初代が受け入れられた欧米では「HR-V」の名を利用した。

もちろん、初代云々というよりも、ホンダのSUVラインナップとして、たまたま古い名称を再生しただけという可能性もある。しかし、そんな2代目「HR-V」、つまり「ヴェゼル」は大ヒットモデルとなる。

日本だけでなく世界各地で販売され、今や、ホンダを支える大きな柱に育っているのだ。

初代「HR-V」は失敗したかもしれないが、そうした経験を糧に生まれた第2世代が大成功したと考えれば、初代の存在もそれほど悪いものではなかったのではなかろうか。

記事に関わった人々

  • 鈴木ケンイチ

    Kenichi Suzuki

    1966年生まれ。中学時代は自転車、学生時代はオートバイにのめり込み、アルバイトはバイク便。一般誌/音楽誌でライターになった後も、やはり乗り物好きの本性は変わらず、気づけば自動車関連の仕事が中心に。30代はサーキット走行にのめり込み、ワンメイクレースにも参戦。愛車はマツダ・ロードスター。今の趣味はロードバイクと楽器演奏(ベース)。

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