【究極のXKになり得た】ベルトーネ・ジャガーXK150 現存1台 魅了するクーペ 後編

公開 : 2021.02.21 17:45

赤く塗られたもう1台のXKE

Bピラー付け根からリアに伸びるフレアラインは、滑らかなラインへ変更されている。卵型のテールライトは、リアボディに埋め込まれていた。

クームズはデザインスケッチを確認し、イタリアに赴き、2種類のルーフラインを確認している。ハバードの身長に合わせるためだろう。多くの開発はすでに済んでおり、クームズからの注文にベルトーネは快く応じたはず。

ベルトーネ・ジャガーXK150(XKE/1957年)
ベルトーネ・ジャガーXK150(XKE/1957年)

ボディは金色に塗られ、赤いトップコートで仕上げられた。ベルトーネはこのXK150の仕上がりに満足し、1958年のトリノ・モーターショーへ出展。その後、英国のクームズへ届けられた。

真新しいベルトーネ・ボディをまとったXK150に感銘を受けたクームズは、ジャガーへ連絡する。ジャガーの拠点があったブラウンズレーンまで運ばれ、ウィリアム・ライオンズは強く興味を抱いたという。

赤いベルトーネ・ジャガーXK150の方は、英国で953HPHのナンバーを得て公道に出た。ハバードは半年しか乗らず、ディーラーのクームズが買い取る。別のナンバーが取り直され、建築家のマイケル・ライルが2番目のオーナーとなった。

モダンな住宅の設計で成功していたライルは、アストン マーティンベントレーなど、高性能なクルマに好んで乗っていた。特別なベルトーネ・ボディのXK150は、どこかの時点でシルバーに塗り直された。

1969年に友人へ売られるものの、数か月後に英国南部、リド空港の保管所で発見される。税関に不正を発見され、押収されていた。その後の経緯は不明だが、火事で破壊されたという噂がある。

究極のXKになる可能性も秘めていた

ジャガーXK120をベースとしたコーチビルド・ボディも存在したが、一般的にオリジナルのデザインを超えることは多くない。しかし、ゴージャスなベルトーネ・ジャガーXK150は別格だ。

過去には、コーチビルダーのモットー社やスイスのギア・エーグル社が手掛けたジャガーも存在していた。フェラーリに似ていたり、トライアンフに似ていたり、冴えないボディでひっそり姿を消している。

ベルトーネ・ジャガーXK150(XKE/1957年)
ベルトーネ・ジャガーXK150(XKE/1957年)

ザガートも、XK150 Sをベースにボディを手掛けている。しかし、フロントグリルとバンパーの造形はまとまりきっておらず、どこか不自然だった。それらを思い浮かべると、スカリオーネの流麗なボディが際立つ。

1954年にアルファ・ロメオジュリエッタ・スプリントのボディ生産を請け負い、工場を拡張したベルトーネ。自動車メーカーのシリーズ生産による事業拡大へ、熱心に取り組んでいた時期だ。

スカリオーネのXK150は魅力的に違いなかったが、ジャガーの創業者、ウィリアム・ライオンズを量産へ傾けることはできなかった。手頃な価格を重視しており、高価なエキゾチック・モデルをビジネスに追加することは、考えていなかったのだろう。

253psのエンジンに、ディスクブレーキを備えたジャガーXK150 S。最高速度209km/hとスカリオーネ・ボディの組み合わせは、究極のXKになる可能性も秘めていた。

クームズがブラウンズレーンまでベルトーネ・ジャガーXK150、XKEを運び、ジャガーのチームとどんな会話を交わしたのか、興味は尽きない。エレガントなボディを眺めるほどに。

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