【まもなく10年】3.11東日本大震災 交通インフラの復興と今後を考える
公開 : 2021.02.21 05:45
東日本大震災からまもなく10年の節目を迎えます。被災地の交通インフラの復興と今後の課題を考えます。
震災当時の影響は?
まもなく、東日本大震災から10年の節目を迎える……。
今回は交通に関わる課題について考察する。
被災地の住民、被災者がまず困難となったのは自動車などに必要なガソリンの入手だ。
震災時ガソリン・軽油販売は、震災発生の3月から4月にかけて、前年比(岩手県)で、軽油で約20%、揮発油で約30%下落した。
自動車の利用が不可欠な地域が多いなかで、この燃料不足は大きな影響を及ぼした。また、ガソリンスタンドで、少ない燃料を求めて何時間も長蛇の列に並ぶクルマは記憶に新しい。医療機関への通院や支援活動でも混乱をきたした。
この背景には、製油所や交通インフラの被災、災害時における物流の混乱などがあった。
被災地の岩手県では4割の人が、被災から1週間のガソリンスタンドでの待ち時間が1時間から3時間以内とされ、3時間以上の人も1割弱いた。
4月以降になってやっと7割以上の人が待ち時間なしの状態となったという調査結果がある(元田良孝氏の調査)。
ガソリン不足に関する情報が必要とされるなか、被災者が頼りにした情報はいわゆる「口コミ」によるものが多かったという。
実際に東北自動車道の交通量は2011年3月には減少している。盛岡市では同年4月と6月に自転車の登録台数が増加しており、一時的に自転車が利用されたことがうかがえる。
東北以外でも混乱は生じた。首都圏では、鉄道を主体とする通勤・通学手段が大混乱に陥った。
震災当日に鉄道がストップしたことにより、大量の帰宅困難者が発生した。大渋滞による道路機能の喪失、原発事故などに伴う計画停電による鉄道の運休や大幅なダイヤの乱れも発生した。当時、帰宅するために多くの人が徒歩で移動し、車道にまで人があふれていた。
比較的道路の復旧は早かったが、鉄道の復旧には時間がかかった。
また、東北は、産業種別で、電気機械や通信機器の拠点となっており、首都圏などではそこから供給を受けている。道路自体の影響とあわせて、港湾被害の影響で、セメント、砂利、石灰、紙・パルプなどの輸送にも影響が出たため、日本全体の製造部門も大きな影響を受けた。
被災から10年を迎えた交通インフラ
現在、当時の被災地では幹線道路に沿って、大規模な防潮堤の建設が続いている(山田町など)。
鉄道は運休のままのところもあるが、BRT(バス高速輸送システム)が運行されている地域もある。
このBRTの長所はスピード。鉄道の線路と同様、一般車両が進入しない専用道を走るため、一般道だけを走るバスより所要時間を短くできる。専用道では渋滞も発生せず、所定のダイヤに近い時刻で運行が可能である。
また、鉄道に比べ車両の運行にかかる費用が安く、利用者が少なくても本数を増やしやすいという利点もある。
2011年の東日本大震災で不通になり、2012年にBRTが導入されたJR東日本の気仙沼線・柳津~気仙沼間の場合、震災前の運行本数(鉄道)は平日で下り、上り各10本程度。これに対して2018年(BRT)では下り、上り各約30本ずつで、震災前の約3倍になった。
さらに、バスは一般道も通行可能。途中、専用道を利用し、一般道に乗り入れることで、専用道から外れた病院などを経由できる。
また、一般道が渋滞する区間だけ専用道を整備してバスの遅延を防ぎ、遅延がほとんど発生しない区間は一般道を走るようにすれば、より確実な定時運行ができる。