【6速MTに911用キャリパー】ルノー5 ターボ2 25年の紆余曲折とレストア 前編

公開 : 2021.03.06 07:05

フランスでの運命的なメール

当時のヤンは国連で働いており、ベトナムへ赴任。ルノー5とレストアを進める技術者もベトナムに来てほしいと話をされたそうだが、断ったという。

ヤンの場合も新しく家族が増え、クルマに対する考え方が変わった。そして再び、ブラッドリー家族の存在が浮上する。古いメールアドレスは変わっておらず、アレクサンドルと連絡がついた。彼もまた、クルマを懐かしんでいた。

ルノー5 ターボ2(1984年)
ルノー5 ターボ2(1984年)

ヘレンが振り返る。「ルノー5の価値が上がったことを知っていたので、価格にはアレクサンドルも悩んだようです。2005年に8000ポンドで売ったクルマでしたが、2年も経たないうちに6万ポンドへ上昇していたんです」

「いや、8万ポンドくらい」。とアレクサンドルが口を挟む。「しかも、ヤンたちも本心では売りたいと考えていなかったんです」。そこで一旦、連絡は途絶えた。

「しばらくして、双子の息子の21歳の誕生日を祝うためモンテカルロへ向かう途中、フランスのマルセイユにも寄りました。ヤンの住む街ですから、クルマが気になって仕方ありませんでした」

「モンテカルロに着くと、ヤンの妹のサンドリーヌからメールが入ったんです。彼が亡くなったと。アフリカでマラリアにかかり、3週間後に命を落としたそうです。まだヤンは50代だったんですよ」

「運命というか、特別な縁を感じました。その連絡があったとき、マルセイユのそばにいたのですから。素晴らしい男性でしたから胸が痛みました」

この続きは後編にて。

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