【復興と被災地】3.11東日本大震災から10年 インフラ整備と住民生活を考える
公開 : 2021.03.11 05:45
インフラは回復も課題は残る
道路や鉄道など交通インフラはほぼ復旧し、新たな投資分の完成にも目途が立っている。
しかし、産業部分ではとくに水産業や農業での衰退が目立つ。水産業復興の道のりは見えない。福島沖には格好の漁場があるが、漁獲量は震災前の約15%と風評被害の影響もあり、元には戻っていない。
福島県によれば、震災前の2010年の海面漁業生産量は7万9000tで全国16位だった。
原発事故後の1年あまりは操業そのものが自粛され、2012年6月にようやく試験操業が開始。県の放射性物質検査で基準値を超えたものはゼロであり、安全性は保証されているものの、1度ついたイメージは消えていない。
2016年における生産量は4万8000tで全国20位と大きく後退。県漁連は必死に国内外で販路の再構築、拡大を目指しているものの、「風評」を克服するのは容易ではないという。
また、コミュニティ自体も当初の計画とはかけ離れてきた。
コミュニティの分散化が顕著であり、地元に残る住民は高齢者が中心になるところが多い。また、震災により限界集落化した地域もある。
インフラ整備は進んでも、これらを利用する階層、正確には利用できる階層は限定され、その恩恵を受けるのは限定されるだろう。
高齢化や過疎化の課題を色濃く残しながら、被災地では真新しいインフラと施設が存在する。
被災地に暮らす住民や、一旦その地を離れるも、「また戻りたい」、「新たに移住したい」という人にとって、これらがそのきっかけとなるかは、今後の課題であろう。
施設やインフラの活用の仕方、関連した産業との兼ね合いなど、「活力と行動」が被災地に要請されてくるのではないか。
これからのインフラ整備と地域復興
道路などインフラ整備はこれまでの災害復興事業でメインともいうべき分野だ。
大規模災害であればあるほど、災害復興事業工事はある意味でわかりやすく「復興」を印象づけることができる。
しかし、こうした規模の大きい工事の「足元」に、コミュニティや自治体、住民が存在する。
守るもの、守る人があってのインフラ復旧・復興であるはずだ。いま、その守られる人が復興工事でできた「産物」(例えば防潮堤など)からは、かけ離れた地域に移動するケースが多い。
もちろん「安全性を高めている」という見方はできる。当初の想定では、ハード面の設置・整備は、移動中の安全やコミュニティをより守りやすくするとの目標で作られている。
すなわち、ほとんど利用しないような地域への投資ではないというのが基本にある。
しかし、現状はその乖離が激しくなっている。ハード面の安全確保は、多額の資金が投入されており、地域の再興に貢献されればという期待があるが、現実は人口減少と過疎化の進行がより早くなっている。
公共交通機関も、これまでは復興に関係した支援や投資である程度守られていたが、これからは民間ベース、自力で経営を進める必要がある。
これは被災地の他業種経営者においても、利用できる支援が減少するはずなので、同様のことがいえる。
震災から10年の節目を迎え、復興から自立に向けた動きを加速させる必要がある。気がかりなのは、阪神・淡路大震災から20年過ぎた時点でも、被災者のうち高齢者など要配慮者の住生活で、「生き場所」を失いながら、本来の意向とは異なり、そこに「住まざるを得ない」被災者が多くいたことだ。
換言すれば、取り残される階層は必ず存在する。インフラや設備、施設が立派になっても、「足元」にある被災地・被災者の現状と課題には留意が必要だ。
東北の県は面積も広いので、分散化した被災者とコミュニティが、単純にインフラ整備中心で活性化するという次元には無いと思う。
その背景にはわが国が抱える高齢者の家計や地域間財政格差、地域における若手担い手の不足などの社会的課題が常に関わっているはずだ。
これまでの事例から、復興の「影」に隠れがちな要素に目を向けていくことに筆者は注力している。