【小柄で元気なイタリアン】ロンバルディ・グランプリ ベースはフィアット850 後編
公開 : 2021.04.10 17:45
小さなボディにフィアット850のエンジンを載せた、ロンバルディ・グランプリ。シャープなデザインで、派生バージョンが複数作られました。貴重な1台をご紹介しましょう。
右ハンドル車も作られたグランプリ
フランシス・ロンバルディ社が生み出した、フィアット850をベースとしたロンバルディ・グランプリ。市場の反響は小さくなく、英国市場向けにも独自の右ハンドル仕様が展開された。
何らかの理由で自動車の貿易を手掛けるようになった、フリクソス・デメトリウ。コーチビルダーが仕上げた、限定生産のイタリア車を英国へ輸入し始める。ロンバルディ・グランプリの規模としては、大量といえる台数をイタリアへ注文した。
フィアット・ベースのモデルが英国へ届けられると、デメトリウは自動車雑誌、カーの表紙を俳優のように飾った。「レーシングカー・ショーの最もエンスージアストな出展者」というキャッチコピーと共に。
英国へ輸入された右ハンドルのロンバルディ・グランプリは、ハイドパーク近くのショールームで1426ポンド(現在で375万円)の価格が付けられた。ウォーストーンズ・サービスステーション社が、英国中部ミッドランズの代理店として機能した。
1969年のAUTOCARでは英国独自のグランプリとして、アバルト仕様だけでなく、チューニングしたヒルマン・インプ用の4気筒エンジンを載せたモデルも販売されると報じている。だが、実現したかどうかは不明だ。
デメトリウの自動車輸入業は長く続かず、1970年代半ばには出身地のキプロスへ戻っている。その後、事故で命をとしたようだ。
1971年に製造されたシリーズ2
多方に展開したロンバルディ・グランプリだが、フィアットがプラットフォームの供給を停止する1971年に生産が終了。継続を模索するように、NSUのエンジンを載せたプロトタイプが作られた。
ほかにもFL1と呼ばれる、ランチア製の2.0L 4気筒やフォード製のV6エンジンをミドシップした試作モデルも発表された。だが、どちらも量産化には至らなかった。
1960年代後半から既に不安定だったフランシス・ロンバルディ社は、1973年に廃業。カルロ・フランシス・ロンバルディも、その10年後に85歳でこの世を去った。
最終的にグランプリとその派生モデルが何台製造されたのか、はっきりした数字は残っていない。500台から1000台の間ではないかと考えられている。
そんな複雑なロンバルディ・グランプリが、近年オークションに掛けられた。出展カタログのために、アバルト・ジャンニーニ・フィアット・グランプリとしてバリエーションが特定された、今回ご紹介する1台だ。
ロンバルディ・グランプリのボディには、アバルトのステッカーが貼られている。ボンネットの形状と10スロットのテールパネルから、1971年に製造されたシリーズ2のクルマと判別できる。
2019年に英国へ上陸して以降、ひっそりと暮らしてきた。英国編集部ではハートフォードシャーへ連れ出し、ボディのプロポーションを観察する以上の充実した時間を得ることができた。