【1960年代のセカンドカー】シトロエン・ビジューとウーズレー・ホーネット 小さな高級車 前編
公開 : 2021.05.02 07:05
デザインはエリートのピーター・カーワン
2CVは賢明な選択肢だと評価されていたものの、英国での販売は低調。シトロエンは、オーバーヒートせずに欧州の山脈を越えられるファミリー・トランスポーターだとPRしたが、風変わりなデザインが人を選んだ。
そこで英国シトロエンのセールスマネージャー、ナイジェル・サマセットリークと、部門ディレクター、ルイ・ガルベがアイデアを絞る。販売拡大を狙った、大胆なビジューが生まれた。
その頃スラウ工場で製造されていたシトロエンDSは、英国製の部品も利用していたが、基本的にはフランスのDSと同じボディをまとう。対象的に、ビジューのグラスファイバー製ボディは完全なオリジナルだ。
デザインは、ロータス・エリートを描き出したピーター・カーワン。当時のどのシトロエンとも、まったく異なる容姿に仕上がっている。
2台目のシトロエンを考えているような、裕福なDSオーナーがターゲットだった。セカンドカーとして、ビジューの想定ドライバーはやはり女性。同クラスの人気モデルと競合するとも、考えられてはいなかったようだ。
コーラルやドーブ・グレー、シャーウッド・グリーンといったオシャレなカラーが設定されたが、どの色を選んでも個性的な見た目に違いはない。FRP製のボディは錆びず、ガレージに収める必要がないことも売りの1つだった。
1959年のロンドン・モーターショーの直前、シトロエンはビジューをマスコミ向けに発表。取材していた1人がデモ車両のドアを閉めると、リアガラスが落ちるというハプニングがあったという。
たった211台しか売れなかったビジュー
笑えないミスがなかったとしても、BMCの傑作、ミニと同じ年の発表は不幸だった。モーリス・ミニ・マイナーのデラックス仕様が536ポンドの価格だったのに対し、ビジューは674ポンド。価格だけ見ても、疑問を感じずにはいられない。
少なくとも、2CVより見た目の魅力が増した、とはいえなくもない。1961年のAUTOCARには、「ボディが完全に生まれ変わり、英国人にも受け入れられるクルマになりました」。と記されている。
だが価格が高すぎた。1962年に大幅な値下げも敢行されているが、焼け石に水だったようだ。
ビジューの生産には手間がかり、利益も小さかった。当初は年間1500台の生産を予定していたが、1964年までに述べ211台をラインオフしたところで生産を打ち切っている。
さて、現存するウーズレー・ホーネットの中でも、恐らく669 GGFのナンバーを付けた1台は最高のコンディションだろう。「2002年に1万5000ポンドをつぎ込んで、レストアしています」。とオーナーのフィル・カウントが説明する。
「これまでの整備の明細も、すべて残してあるんですよ」。2019年以降、走ったのは800kmほど。オドメーターを覗くと、走行距離は4万kmを少し超えたばかり。カウントはミニのマニアで、ミニ・モークも所有している。
Mk2の998ccユニットは、それ以前のエンジンより改良されていると話す。「現代の交通にも、大体は問題なく着いていけます。高速道路は厳しいですが、市街地や郊外なら余裕を感じて運転できます」
「シフトフィールはプリンの手応えのようにあやふや。でも、モークで乗り慣れていますからね」
この続きは後編にて。