【1960年代のセカンドカー】シトロエン・ビジューとウーズレー・ホーネット 小さな高級車 後編
公開 : 2021.05.02 17:45
改良が続けられたホーネットとエルフ
「停止時にクラッチペダルを踏んでギアを選べば、ブレーキを掛けたままクラッチペダルから足を離せます。交通量が少なければ、信号が変わったらブレーキペダルを緩めるだけです」
英国シトロエンのスラウ工場は、1966年に閉鎖。売れなかったビジューは、2CVの歴史の一部に組み込まれた。
それを横目に、BMCはウーズレー・ホーネットとライレー・エルフの改良を続けた。1964年にハイドロラスティック・サスペンションを採用し、1965年にはAP社製のATが選べるようになった。
1966年にMk3が登場すると、リモートコントロール機能の付いたMTが登場。フロントシートにはリクライニング機構が追加され、外気が取り入れられる送風口も付いた。ミニより3年も早く、ノブで上下できるサイドウインドウも装備されている。
1968年にはすべてのギアにシンクロメッシュを採用。1969年までに、ホーネットは2万8455台、エルフは3万912台が製造されている。
翌年、角張ったノーズのミニ・クラブマンが登場するが、豪華なミニとは違った内容。レザーやウッドは人工素材に置き換わり、エグゼクティブ向きのクルマではなくなった。直接的な後継モデルは、1982年のメトロ・バンデンプラかもしれない。
今回のウーズレー・ホーネットもシトロエン・ビジューも、とても個性的な1960年代のセカンドカーだ。まったく異なる点も興味深い。
ミニ・ファンから相手にされなかった過去
ビジューは、1人での運転が適している。家族4人での週末旅行に対応できる車内空間はない。もし英国シトロエンが602ccのエンジンを選んでいれば、アミ6並みに優れたシティカーとして、支持を集められたかもしれない。
スラウ工場の創意工夫も観察できる。クラシックカーとして、目にする人へ印象を残すクルマでもある。
一方のウーズレーは、クルマ好きから皮肉的な扱いを受けることが多かった。特にミニの愛好家たちは、ジョークの対象としてホーネットやエルフを相手にしない傾向があった。
活発なミニはラリーで活躍し、ロンドン郊外からの通勤や移動の時間距離を縮めた。ところがホーネットやエルフは、少し時代遅れのデザインをまとった冴えないモデル、というイメージで固められてしまった。
だが実際は、ミニ・クーパーと同等の機能をエルフやホーネットも果たすことはできていた。オーナー層が違っていたとはいえ。
ホーネットのオーナー、カウントは、1960年代のミニより少し勝っていると考えている。「当時の中流階級の主婦にとって、完璧なクルマだったと思います」
今でもウーズレー・ホーネットはセカンドカーとして、ハイ・ストリートでのショッピングやランチに使えるだろう。クルマの乗り入れが許される地域なら。
シトロエン・ビジューも、地元のカフェまでの移動手段として、悪くない乗り物にはなるかもしれない。丘の上に住んでいなければ、の話だが。