【地球1周を走ったミニ】BMCミニ ジャックとジルの大冒険 アジア〜欧州 レストア 後編
公開 : 2021.05.08 17:45
壮大なチャリティー・チャレンジを走破した、2台のカラフルなBMCミニ。丁寧なレストアを遂げた姿とともに、世界1周の大冒険を振り返ります。
再出発に向けて各部をオーバーホール
2台のミニ、「ジャック」と「ジル」はマイアミまで船に乗り、そこからロサンゼルスまで走り、シンガポールへ運ばれた。到着するとブリティッシュ・レイランドのディラーが2台を整備。アジア大陸への準備を整えた。
クラークが日誌に記している。「クルマは酷使されていました。サブフレームを交換し、サスペンションとブレーキはオーバーホール。エンジンも新しいピストンやクランクシャフトを用いて、完全にリビルトされました」
「ガソリンタンクは溶接し直され、窓ガラスやヘッドライト、メーター類も新調。ホーンはブラジルで盗まれていて、新品に。ここまでの整備は、なかなか受けることはないでしょう」
2台のミニは、1981年2月にシンガポールを再出発。中国の旧正月で、華々しくセレモニーが開かれた。
3月の上旬にはタイを横断。首都バンコクまでの3600kmでは難民キャンプを訪れ、セーブ・ザ・チルドレンの活動を視察した。ワイヤーフェンスの奥に3万6000人を超えるカンボジア難民が群れをなし、明らかに収容力を超える状態だったという。
ペナンまでの道すがら、有名な寺院のいくつかにも立ち寄っている。「僧侶たちはクルマに強い関心を示し、旅行について沢山の質問を受けました。旅の安全を祈り、お守りを授かりました」。クラークが残している。
マレーシアの北西海岸に着くと、インド洋を越えてインド・チェンナイまで船で輸送。そこでもセーブ・ザ・チルドレンの活動を目にする。「保育園や子供向けの保健センターは、まだありませんでした」
砂漠越えと軍の留置施設への拘束
「沢山の子どもが建築業者の中庭に住んでいて、瓦礫の中で赤ちゃんがご飯を食べる様子は、見るに耐えませんでした。彼らの用意した移動式託児所が、本当に苦しみを減らしているのか疑問を感じるほど」
「当時を振り返ると、気持ちもよみがえります。子どもの笑顔が忘れられません」。クラークが書き残している。
「バドラスから熱い平原をミニで走り抜け、パキスタンとの国境の町、アムリトサルに着く頃には涼しくなっていました。食べ物や洋服など、どこにでも寄ってくるハエの群れには悩まされましたが」
インドと比べて、パキスタンはだいぶ豊かな国に見えたという。「東部のラホールから中西部のクエッタまでは、たった7日の旅。ジューシーなオレンジやアイスクリームを楽しめました」
「クエッタ山の頂上につくと、その先に広がっていたのは一面の砂漠。イランの首都、テヘランまで、2400kmは砂漠を越える必要がありました。砂でスタックし、ミニを掘り出すのに何度もスコップを使いました」
舗装路に入れば、イランの道は状態が良かった。しかし、イラクとの不安定な関係が旅の進行を妨げた。
「都市から離れた地域では、人々はとても親切。100kmごとに武装したパトロールがいて、我々は検査を受けました。ペルシア語は良くわからず、旅の説明には苦労しました」
「最終的に軍の留置施設に拘束され、パスポートや旅の目的の確認を受けました。ありがたいことに、そんな体験は最後になりましたが」。ほぼ地球を1周し終えたミニ。欧州を目前にしながら、トルコでは雪との戦いが待っていた。