【家宝になったフィアット】ジアコーサの傑作 フィアット128 エンジンも宝石級 前編
公開 : 2021.06.12 07:05
長年生産されたジアコーサ晩年の傑作
自動車関係の仕事に就いてきたハックナルは、近年広報コンサルタントの事業を立ち上げた。しかし父のように技術へ対する造詣は深く、クルマ好きは変わらない。
「このクルマはジアコーサ晩年の傑作です。彼は1926年からフィアットに在籍し、以降、すべてのモデル開発に関わってきました。これが(127と並ぶ)、彼にとって最後のプロジェクトになったんです」
ハックナルが続ける。「ジアコーサは、乗員空間を最大限に大きくしたいと考えていました。クルマの80%は、人と荷物の空間であるべきだと。スペアタイヤがエンジンルームに積まれ、巨大な荷室を実現しています」
「見た目は革新的とは呼べませんが、技術的には当時の新しい要素を上手にまとめています。オーバーヘッドカム・エンジンは7000rpmまで勢いよく吹け上がったと、当時のロードテストでは書かれています。バルブの動きも乱れることなく」
「4速MTのギア比は、改善の余地がありますね。中間のギアはロングなのですが、4速がショート過ぎるんです。高速域では、エンジンの元気なサウンドが一緒です」
英国に残存するフィアット128は、恐らく4台のみ。新車時代は大きな成功を掴んだが、それを忘れるほど、すっかり希少な存在になってしまった。
クーペも加えると、16年間のモデルライフで述べ300万台以上が作られた。それ以降も、エジプトやスペイン、ユーゴスラビアなどで生産は継続。2003年まで、128の派生モデルは生産されていたのだ。
美しい状態に保つと決心した父
今回ご紹介する、SFP 863Rのナンバーを付けたフィアット128は、英国の気候に負けることなく生き抜いた。1977年4月に、レスターのディーラーでハックナルの父が注文したクルマだ。
「最初のポジターノ・イエローの128で、父はどこへでも出かけました。唯一のクルマでしたからね。7年後にこのクルマに乗り換えてからは、できるだけ良い状態を保ちたいと考えたようです」
「特別な週末にだけ乗るクルマとして扱うようになりました。シルバーストーンへクラシックカー・ミーティングを見に行くような、遠出の自動車旅行など」。週末の旅行のたびに、ハックナルは走行距離をメモしていた。
この赤いフィアットは、ヌオーヴァ128と呼ばれるモデルで、1976年に発売された第2世代。新しいフロントグリルに四角いヘッドライト、プラスティック製のバンパーが与えられ、インテリアも一新している。
グレードは1300CL、コンフォート・ラクスの略で、最高出力は60ps。「ショールームには、124スポーツ・クーペ1800が並んでいた時代です。価格は2400ポンドでした。父は欲しいと考えていたようですが、400ポンド安い128を選びました」
「一度、アルファスッドに試乗したことは覚えています。でも128以外のクルマは、真剣には考えていませんでした」
「赤い128はガレージに入り、走るたびに洗車。128を守るため、フィアット850やミニなどを、普段用のクルマとして安く購入するほど」。彼の父、テッドは128を美しい状態に保つと決心した。取りつかれたように。
この続きは後編にて。