【マッスルカーの絶頂期】シボレー・カマロSS 396とシェルビーGT500 1969年の火花 前編
公開 : 2021.06.19 07:05
ビル・ミッチェルのコークボトル・ライン
既存モデルを上手に流用したマスタングとは異なり、カマロは白紙に近い状態から設計された。仕事の早さには感心させられるが、コストを抑えるためベース車両としてシェビーII(ノヴァ)が選ばれた。
その結果、ボディ寸法の一部やフロントアクスルからダッシュボードまでの距離など、変更できない制約があった。コンパクトな2ドアクーペとして仕上げるのに、アンバランスにもなりかねない。
そんな課題に立ち向かったのが、デザイナーのビル・ミッチェルとヘンリー・ハガ。ボディ中央がくびれたコークボトル・ラインを展開させ、魅力的なスタイリングにまとめている。コルベットやビュイック・リビエラなどの経験が活かされたのだろう。
マスタングが勢いを増す中での、カマロの参戦。クーペだけでなくコンバーチブルも選択でき、230cu.in(3.8L)の直列6気筒や350cu.in(5.7L)のV型8気筒など、複数のエンジンも選べた。
カマロのトップを飾ったのが、396cu.in(6.5L)のV8エンジン。排気量では、マスタングが載せていた390cu.in(6.4L)を凌駕していた。
一方で、パフォーマンスで強力な後ろ盾を備えていたのはフォード。チューニング・レジェンドといえる、キャロル・シェルビーがマスタング側には控えていた。
ACエースを世界的に名の通ったレーシングマシンへ仕立て、フォードGT40プロジェクトを大成功へ導いた、その人だ。シェルビーは初代マスタングをフォードから受け取り、高性能化を依頼されると、早速1965年にGT350を完成させる。
キャロル・シェルビーの手によるGT350
ハイチューニングのウインザーと呼ばれる289cu.in(4.7L)エンジンは、310psを発生。4速MTに、フロントにはケルシー・ヘイズ社製のディスクブレーキを装備。デトロイト・ロッカー・デフと、一部の州では違法だったサイド排気で武装した。
一気に活性化されたマスタングは、パフォーマンスとして新たなベンチマークを設定。普通の自動車ファンにとってGT350の性能は高すぎ、手に負えないほど。それでも、特にレーサーを目指すドライバーには強く支持された。
1966年には、パフォーマンスとイメージとの両立を図るべく、少しマイルドに。GT350の魅力の一部を失っている。
この1966年式で興味深いのが、レンタカーのハーツ社が1000台を購入し、一般に貸し出したこと。GT350 Hと呼ばれ、これも伝説的な存在になっている。
カマロ発売へ備えるように、1967年にマスタングはリフレッシュ。スタイリングが新しくなり、FEシリーズと呼ばれる390cu.in(6.4L)のV8エンジンがオプションで登場している。
この頃には嗜好も広がり、ノッチバックとファストバック、コンバーチブルがマスタングでも選べるようになっていた。プリムス・バラクーダやシボレー・シェベル、ポンティアック・ファイヤーバードなど、マッスルカー仲間も増えた。
それでも、最大のライバルはニューカマーのシボレー・カマロ。フォードの独走に待ったをかける挑戦者だ。1967年、マイナーチェンジを受けたマスタングに対しカマロは善戦。2:1の割合で好調に売れた。