【マッスルカーの絶頂期】シボレー・カマロSS 396とシェルビーGT500 1969年の火花 前編

公開 : 2021.06.19 07:05

1969年はマッスルカーのピーク

翌年には380psを絞り出す396cu.in(6.5L)のV型8気筒、L78ユニットに多くのファンが付き、カマロは販売を躍進。マスタングとの差を8万2000台にまで縮めている。

パワーで不利なマスタングをアシストしたのが、ロードアイランド州のタスカ・フォード社。パトカー用インターセプターの428cu.in(7.0L)エンジンを押し込み、0-400m加速13秒を達成。ホッドロッダーを唸らせた。

シボレー・カマロSS 396 インディ・ペースカー(1967〜1969年)
シボレー・カマロSS 396 インディ・ペースカー(1967〜1969年)

シェルビーもこのアイデアを気に入り、428エンジンをマスタングに搭載してGT500を発表。さらにタスカ・マスタングの量産化にはヘンリー・フォード2世も共感。1968年に洗練された正式モデル、コブラ・ジェットとして登場している。

1966年のル・マン上位3位を独占した、フォードGT40の427エンジンを彷彿とさせた。428エンジンのコブラ・ジェットはキングオブロード(KR)と呼ばれ、まさに公道の王として君臨するのに相応しいモデルでもあった。

1970年代初頭に次期カマロとマスタングが発表されるまで、熾烈な戦いが繰り広げられた。まさに1969年の夏はマッスルカーのピーク。排出ガス規制や安全規制が厳しくなる直前の、黄金期だった。

それ以降、政府の規制に加えてガソリン価格や保険料が高騰。圧縮比が下げられ、馬力が絞られた。シェルビーは変化を読むのが得意だった。リー・アイアコッカとの契約を終了し、1969年にマスタングとの関係性を一度断っている。

この続きは後編にて。

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